
養父市には、養父市指定文化財99件、兵庫県指定文化財50件、国指定文化財9件、兵庫県登録文化財7件、合計165件の文化財があります。これらは国や県・市の法律や条例で指定や登録をうけた文化財です。また最近では近代産業遺産をはじめ、生活の中に埋もれている身近な資料も地域おこしの宝として重要となっています。
このページは、平成22年から現在までに養父市教育委員会が作成したパンフレットの20項目を公開しています。機会にあわせて作成しているため、重要な文化財でもこの中に入っていないものがあります。しかし、それぞれの記事の中には文化財の楽しい魅力が凝縮されています。そして、幾つもの文化財が連続して養父市の姿を映し出しています。パンフレットの中にある身近な写真の中に様々な養父市の宝を再発見し、新しい養父市の魅力を引き出していただく機会となることを願っています。
1、出石藩の殿様も愛でた仙桜(樽見の大桜)
国指定天然記念物:樽見の大ザクラ、樹高13.8メートル、根回り7メートル。
樹齢1000年といわれる風格のある老木です。春には多くの見学者が訪れます。
別名は仙桜です。江戸時代の元禄年間(1688-1704)には、高さ約15メートル、枝張は約36メートルにわたり、桜の花は白雪のように美しく、出石藩主の小出英安侯も見学に訪れたと伝わっています。
⇒樽見の大桜 パンフレット (PDFファイル: 1.6MB)
2、よみがえる古代の但馬、箕谷古墳群
国指定史跡:箕谷古墳群、「戊辰年五月」の銘のある鉄刀が出土。
箕谷2号墳内部を見学できるように横穴式石室を整備した古墳公園です。
箕谷古墳群は国指定の史跡であり、箕谷2号墳出土品は銘文入り鉄刀を含めた103点が国の重要文化財となっています。戊辰年は西暦608年とする説が有力であり、兵庫県で最も古い漢字資料となっています。
⇒箕谷古墳群 パンフレット (PDFファイル: 841.5KB)
3、八木氏と別所氏の八木城跡
国指定史跡:八木城跡、県指定文化財:木造金剛力士像。
戦国時代の八木氏、豊臣時代の別所氏が治めた大規模な山城です。
八木城主の八木豊信は、織田信長の山陰攻めでは毛利勢の吉川元春に味方し、竹田城の太田垣輝延、轟城の垣屋豊続と共に反織田勢力として活躍しました。その後、政権が変わり、豊臣秀吉は、別所重棟に1万5千石の領地を与えて八木城主として配置しました。
4、但馬妙見名草神社
国指定重要文化財 名草神社(本殿・拝殿)
国指定重要文化財 名草神社三重塔
名草神社は但馬だけでなく因幡や丹後からも多くの参詣者が集まる山岳信仰の神社で、標高800メートルの妙見山に立地しています。名草神社は五穀豊穣をつかさどる名草彦大神を主祭神とする神社で、天御中主神など7神を祀ります。そして「妙見さん」「妙見社」と呼ばれています。
また、名草神社三重塔は、大永7年(1527)に出雲大社に建立されたもので、江戸時代に出雲から日本海を船で運ばれて、妙見山の現地の場所に移築されました。
⇒名草神社 パンフレット (PDFファイル: 990.7KB)
5、よみがえる江戸時代の彩色 名草神社
国指定重要文化財 名草神社(本殿・拝殿)
国指定重要文化財 名草神社三重塔
名草神社の保存修理工事が完成しました。1665年、朱色に塗られた出雲大社三重塔が名草神社に移築されました。これが現在の名草神社三重塔です。1689年に建築された拝殿にも同じ朱色が塗られ、さらに1754年に建築された本殿にも朱色が塗られました。江戸時代初期に出雲大社を彩った朱色が名草神社の彩色のルーツです。建造物の彩色調査による彩色復元によって、金色や朱色に輝く創建当時の姿がよみがえりました。
また、拝殿の正面には建築当初とみられる2枚の絵馬があります。1枚は神功皇后と武内宿祢、もう1枚は日本武尊の熊襲征伐の図です。桃の節句、端午の節句に喜ばれた画題です。
⇒よみがえる江戸時代の彩色 名草神社パンフレット (PDFファイル: 1.2MB)
6、名草神社保存修理説明資料
国指定重要文化財 名草神社(本殿及び拝殿)
保存修理説明資料
名草神社では平成22年3月の積雪による破損から11年、平成27年の保存修理事業の着手から8年をかけて修理工事が完成しました。本殿と拝殿は半解体修理工事を実施し、さらに耐震補強を行い、外観は彩色の調査に基づいて建築当初の姿に復元しました。
保存修理の完成を記念して令和4年10月23日、国指定重要文化財名草神社保存修理完成式を開催しました。平成から令和へと続いた本殿と拝殿の修理工事を説明しています。
⇒名草神社 保存修理説明資料パンフレット (PDFファイル: 2.0MB)
7、但馬国の大社、養父神社
県登録文化財:養父神社本殿・拝殿・山野口神社・五社神社。
養父神社は江戸時代には桜の名所として有名な景勝地であり、現在は紅葉の名所です。
文化15年(1818)3月、出石藩主の仙石政美侯は147名の大名行列を従えて桜の花見に来ています。本殿は、江戸時代末期の建築で、豪華な彫刻をそなえるだけでなく、但馬地方では最大規模の檜皮葺きの屋根が現在も受け継がれています。
8、おいでんせえ・養蚕のふるさと、大屋蔵垣かいこの里
養父市立上垣守国養蚕記念館、養父市立かいこの里交流施設。
養蚕記念館は、但馬の養蚕文化を後世に伝承し、養蚕の神様・上垣守国翁を顕彰しています。
上垣守国は江戸後期に養蚕秘録という書物を発刊しました。それをシーボルトがオランダに持ち帰り、フランス政府がフランス語に翻訳し出版しました。
上垣守国の養蚕研究の成果はヨーロッパまで広がりました。
⇒大屋蔵垣かいこの里 パンフレット (PDFファイル: 1000.8KB)
9、富岡製糸場と養父市の養蚕
世界遺産の「富岡製糸場と絹産業遺産群」。
養父市の養蚕も群馬県との交流で発展しました。
明治14年、養父市大屋町では小倉寛一郎が富岡式の器械製糸場を始めました。また、明治30年には兵庫県立簡易蚕業学校が養父市八鹿町に開校し、明治41年には同校に兵庫県立原蚕種試験場が設置されました。
また、大正3年に郡是製糸株式会社八鹿工場が操業しました。
⇒富岡製糸場と養父市の養蚕 パンフレット (PDFファイル: 824.0KB)
10、慎独と黙坐を重んじた人格育成、池田草庵と青谿書院
兵庫県指定史跡:青谿書院、儒学者池田草庵が弘化4年に開設。
江戸末期から明治にかけて、武士や農民の子どもたちが学んだ学舎です。
池田草庵に学んだ人たちには、第3代京都府知事となった北垣国道、横浜正金銀行頭取となった原六郎、東京大学総長を2度務めた浜尾新、文部大臣を務めた久保田譲などがいます。
⇒池田草庵と青谿書院 パンフレット (PDFファイル: 547.5KB)
11、解説板を探して見学する明延鉱山町
近代産業遺産群33、明延鉱山は明治42年に錫鉱を発見、昭和62年に閉山。
明延鉱山は、明治42年に豊富な錫鉱脈が発見され、国内90%以上の錫を産出する、日本一の錫鉱山として栄えました。
明延にある鉱山遺産の解説板14基を紹介しています。平成29年に日本遺産となりました。
⇒明延鉱山 パンフレット (PDFファイル: 930.8KB)
12、近代化産業遺産、明延一円電車
近代化産業遺産群33、養父市指定文化財:明延鉱山明神電車。
昭和27年に明延鉱山から選鉱場のあった神子畑まで、鉱山の中の約6キロメートルを料金一円で人々を運びました。明延・神子畑の間では、自走式の白金号や赤金号、電気機関車が牽引するくろがね号があります。
⇒明延一円電車 パンフレット (PDFファイル: 785.5KB)
13、近代化産業遺産、明延の町並み
近代化産業遺産群33、明延川に沿った1300メートルの細長い町並み。
個人商店が建ち並び、昭和31年には4167人の人々が生活していました。
明延病院・明延購買会・協和会館・共同浴場、さらに鉱山の長屋社宅などが整備され、近代的な鉱山都市が形成されました。
⇒明延の町並み パンフレット (PDFファイル: 1.7MB)
14、近代化産業遺産、明延鉱山の北星社宅
近代化産業遺産群33、明延鉱山従業員が暮らした社宅群。
明延鉱山には木造長屋社宅とプレコン社宅があります。
明延のプレコン社宅は昭和29年に北星市区と坂ノ谷地区に初めて作られました。日本でも創生期のプレコンが明延に残っています。日本の社宅史研究にとって大変重要な産業遺産です。
⇒明延鉱山の北星社宅 パンフレット (PDFファイル: 1.5MB)
15、近代化産業遺産、中瀬鉱山と町並み
中瀬金山関所、鉱山車両展示場。
中瀬、明延、生野は但馬三山と呼ばれた優れた鉱山で、「金の中瀬」とも呼ばれました。
豊臣秀吉・徳川家康の支配をうけ、明治時代には工部省鉱山寮、農商務省生野鉱山分局、宮内省御料局をへて三菱合資金社の経営となり、現在は日本精鉱株式会社が経営しています。平成29年に日本遺産となりました。
⇒中瀬鉱山と町並みパンフレット (PDFファイル: 2.5MB)
16、日本遺産中瀬鉱山、解説板を探して見学する中瀬鉱山町
日本遺産・構成文化財、中瀬鉱山関連遺構・中瀬鉱山町
安土・桃山時代から江戸時代に近畿地方最大規模の金山として栄え、豊臣秀吉や徳川家康の直轄地として陣屋が配置され、中瀬金山が開発され、中瀬金山町が整備されました。その後、昭和時代には国内でも良質の金とアンチモンの鉱脈が発見され、中瀬鉱山が全国に知られるようになりました。平成29年には日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」の中の構成文化財「中瀬鉱山関連遺構・中瀬鉱山町」として認定されています。中瀬集落には、中瀬金山関所という交流展示施設があります。
⇒解説版を探して見学する中瀬鉱山町パンフレット (PDFファイル: 1.1MB)
17、三階建養蚕農家の主屋群、養父市大屋町大杉地区
国選定の重要伝統的建造物群保存地区、養父市景観形成重点地区
大杉地区は兵庫県北部に位置し、養父市の大屋川沿いにある約5.8ヘクタールの重要伝的建造物群保存地区です。養父市は、兵庫県で最も養蚕が栄えた地域であり、養蚕のための木造三階建の農家群が立ち並ぶ農村景観が現在も受け継がれています。
国選定の地区を含めた約11.1ヘクタールが養父市景観形成重点地区(旧兵庫県景観形成地区)になっています。
重要伝統的建造物群保存地区としては全国で115地区目の選定です。山村・養蚕集落では4地区目となります。
⇒養父市大屋町大杉地区 パンフレット (PDFファイル: 2.6MB)
18、山村・養蚕集落、養父市大屋町大杉地区
国選定の重要伝統的建造物群保存地区、養蚕で発達した三階建養蚕農家住宅
城下町や宿場町などの歴史的な町並みの保存を図る地区として、国選定の重要伝統的建造物群保存地区の制度があります。平成29年、大杉地区は全国で115地区目の選定をうけました。養蚕集落という種別の選定は西日本地域で養父市が初めてです。明治時代から大正時代にかけて養父市内の山村集落では、養蚕業が盛行する中で多くの三階建養蚕農家住宅が建つようになりました。外観の特徴は、三階建という作り方に加えて、住宅の柱を壁土で塗り込んだ「大壁」造りです。但馬地方の山間部において独自の伝統文化をもつ集落景観が発達しました。
⇒山村・養蚕集落 養父市大屋町大杉地区パンフレット (PDFファイル: 3.3MB)
19、但馬・養父、大薮古墳群
兵庫県指定文化財:こうもり塚古墳・塚山古墳・禁裡塚古墳・西ノ岡古墳。
養父市指定文化財:野塚古墳群・道林古墳群。
大薮古墳群には、但馬を代表する大型横穴式石室をもつ4基の古墳があります。
年代順に示すと禁裡塚古墳・塚山古墳・西ノ岡古墳・こうもり塚古墳となり、但馬の大型横穴式石室一覧表によると、それぞれ第1位、第3位、第6位、第14位です。
6世紀後半から7世紀中頃にかけて築造されました。これは、但馬地域だけでなく、丹後・丹波・播磨地方の中でもトップクラスの規模になります。
⇒大薮古墳群 パンフレット (PDFファイル: 1.1MB)
20、囲炉裏のある明治・大正のくらし 大庄屋記念館
養父市指定文化財:旧長島家住宅。
大庄屋記念館は養父市小城集落の高台にあります。江戸時代後期に長島善右衛門が出石藩の大庄屋を務めたことから大庄屋記念館と呼んでいます。昭和49年に養父町民俗資料館として開館し、平成16年に養父市立大庄屋記念館と改称しました。
敷地は3700平方メートルもあり、母屋、客殿(離れ屋敷)、土蔵などが立ち並んでいます。室内には、第3代京都府知事を務めた北垣国道の扁額、小林礫川の襖絵などを展示しています。
この記事に関するお問い合わせ先
歴史文化財課
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