明延鉱山見学情報

更新日:2020年10月22日

1.明延鉱山の歴史

明延鉱山は大同4年(809)に開坑し、奈良の大仏を作るために銅を献上したと伝わる鉱山です。豊臣秀吉の時代には明延銀山、江戸時代には明延銅山と呼ばれています。江戸幕府が支配した生野銀山・明延銅山・中瀬金山では、町名主のことを加奉(かぶ)と呼びました。慶長19年(1614)の大坂冬の陣において、生野奉行の間宮直元は鉱山労働者を引き連れて参陣し、大坂城の堀の下に坑道を掘って城を攻めました。この時、徳川家康から「奉行に加える」という意味をもつ「加奉」の称号を恩賞として拝領したといわれています。
明治5年(1872)明延鉱山は明治政府の官営鉱山となり、さらに明治29年三菱合資会社の経営となって鉱物探査を続けました。明延鉱山で捨てられたズリ石の中から、明治41年平林武博士が鉄マンガン重石に含まれるタングステンを発見しました。さらに明治42年4月27日、東京帝国大学において平林武博士と渡辺渡博士が顕微鏡検査によって、明延鉱山から持ち帰ったズリ石の中から錫石を発見しました。この発見によって明延鉱山は「日本一の錫の鉱山」へと発展しました。昭和30年代の明延は人口約4000人、世帯数約1200戸、明延小学校は全校生徒約780人となりました。
錫の産出量は国内第1位で、昭和40年代には全国の95パーセントの生産量を占めました。明延鉱山で錫鉱石を採掘し、神子畑選鉱場で錫を選鉱・製錬し、生野鉱山で鉱業製品となる錫のインゴットを製造しました。三菱金属鉱業株式会社の鉱山による分業生産システムによって明延、神子畑、生野の3鉱山が繁栄しました。明延鉱山の地下約500メートルで掘った錫が、約26キロメートル離れた生野鉱山でインゴット(鉱業製品)になったのです。
明延から神子畑に鉱石を運んだ鉄道が明神電車です。乗客を運んだ客車は運賃が1円で、「一円電車」として全国に知られました。しかし円高によって安い鉱物が外国から輸入された結果、昭和62年に明延鉱山は多くの鉱物資源を地中に残して閉山しました。神子畑選鉱場も閉鎖しましたが、生野鉱山は錫の精錬工場として現在も稼働しています。

明延町並みの中心地

明延町並みの中心地

北星社宅

北星社宅

2.明延鉱山探検坑道(坑道の見学とガイド)

探検坑道は、平成元年に当時の明延鉱業株式会社が鉱山学習施設として整備したものです。現在、養父市が管理運営しています。鉱山で最後まで使われていた大寿立坑のエレベーター、ダンプトラック、削岩機、蓄電池機関車などを坑内に展示しています。
探検坑道は、明延鉱山の世谷通洞坑という場所で、鉱石を採掘するために坑道に入る拠点となりました。世谷通洞坑の前には西部採鉱課事務所(現在は明延鉱山学習館)がありました。明延鉱山が鉱石を掘った坑道の総延長は550キロメートルで、東海道新幹線の大阪から東京までの距離と同じ長さになります。坑道の垂直距離は約1000メートルです。海面下約130メートルまで掘り下げています。
坑道はヘルメットを着用し、ガイドの案内で見学します。見学時間は約60分です。見学できる坑道の延長は650メートルです。気温は一年を通して10度から14度で、真夏は大変涼しく感じます。「今でも実際に掘っているような感じがする」という意見をよく聞きます。明延鉱山の坑道は本物の鉱山を体感できる貴重な場所であり、岩盤や線路から迫力が伝わってきます。

坑道見学の様子

坑道見学の様子

探検坑道内部

探検坑道内部

3.今も走る明延一円電車(明延のシンボル)

明延鉱山で使われた鉱山車両が、今、明延にある一円電車ひろばの「一円電車明延線」を走っています。線路幅は762ミリ、線路は一周150メートルの周回コースです。明延鉱山で使われた客車くろがねをバッテリー機関車がけん引しています。
客車くろがねは、昭和25年12月三菱鉱業株式会社社長である羽仁路之氏の視察に伴う特別列車として明延鉱山工作課神子畑機械工場が製造しました。設計は技術者の勝部郁男氏です。規模は長さ5830ミリ、幅1250ミリ、高さ1905ミリです(パンフレット「明延一円電車」)。車両の幅と高さは坑道の規模に合わせて作るため、可愛らしい電車が作られました。定員は23人です。
一円電車は、明延鉱山の明神電車軌道を走りました。明神電車軌道は昭和4年(1929)、明延鉱山大仙選鉱場(第1次選鉱)から神子畑選鉱場(第2次選鉱)まで約6キロメートルを、鉱石運搬のためにトンネルを掘って、高低差0メートルの水平な線路でつなぎました。昭和16年(1941)には線路幅(ゲージ)を500ミリから762ミリ(2フィート6インチ)に広げました。当初は鉱石を輸送する貨物専用鉄道でしたが、昭和20年(1945)、客車を連結して鉱山関係者とその家族の輸送を始めました。昭和27(1952) から昭和60年まで33年間、運賃1円で乗客を運んだことから「一円電車」の愛称で全国に知られました。
明延と神子畑に保存されている明神電車軌道を走った客車くろがね、電車白金(しろがね)、電車赤金(あかがね)など8輌が、令和2年3月に兵庫県指定文化財となりました。

一円電車明延線を走るくろがね号

一円電車明延線を走るくろがね号

いこいの家前に展示されている白金号

あけのべ憩いの家前に展示された白金号

4.施設見学とガイドの問い合わせ

明延には、あけのべ自然学校という宿泊体験施設があります。明延鉱山の閉山に伴って閉校した明延小学校を活用した施設で、平成元年(1989)にオープンし、最大で225人の宿泊が可能です。明延鉱山の情報基地として鉱山の写真や鉱石も展示しています。探検坑道を案内する拠点施設にもなっています。
明延鉱山探検坑道見学は、入坑料金(ガイド料込)として大人1200円、小中学生600円でガイドが案内します。事前予約が必要です。これとは別に、4月から11月第1日曜日には、10時から15時まで、あけのべ憩いの家前を集合場所として、予約なしで探検坑道が見学できる探検坑道日曜見学会を開催しています。
一円電車体験乗車会は、4月から11月まで第1日曜日に開催しています。予約なしで客車くろがねに乗車できます。5月のゴールデンウイークや夏休みには追加の開催日もありますので、お問い合わせください。

お問合せ・お申込み

施設見学や事前申込について

あけのべ自然学校
667-0436 養父市大屋町明延1184
電話 079-668-0258 ファックス 079-668-0099

鉱石の道「明延」実行委員会について

大屋地域局
667-1105 兵庫県養父市大屋町大屋市場20-1
電話 079-669-0120 ファックス 079-669-1682

5.関係資料について

明延鉱山や明延鉱山探検坑道、明延一円電車に関する資料を掲載しています。

まちの文化財

明延鉱山と鉱山町に関するパンフレット

日本遺産について(外部ページ)

この記事に関するお問い合わせ先

歴史文化財課
〒667-1105
養父市関宮613-6
電話番号:079-661-9042
ファックス番号:079-667-2277

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