まちの文化財(213)但馬牛と養父市場

更新日:2022年12月09日

昔の牛市場へ入る道路

昔の牛市場へ入る道路

住宅地の中にある牛市場の跡地

住宅の中にある牛市場の跡地

牛市場の後ろにある三柱神社

牛市場跡の後ろにある三柱神社

大薮にある現在の牛市の様子

大薮にある現在の牛市場の様子

昭和40年頃まで、農家では水田を耕すために牝牛1頭を飼育していました。そして毎年、農家で生まれた子牛が牛市場でセリにかけられて販売されました。

嘉永5年(1852)の記録を見ると、養父市場の家数は186軒、牛の売買を仕事とする博労(ばくろう)は63人もいます。天王寺や和泉国、紀伊国に赴いて但馬牛を販売しました。

養父市場の牛市は、江戸時代には道路で行われていたようですが、明治23年(1890)頃、大橋家のりんご畑の提供をうけて整備されたと伝わっています。

昭和30年代の養父市場の牛市場には、せり場、つなぎ場、牛小屋、養父郡畜産農業協同組合連合会(畜連)や県家畜保健衛生所の建物が並んでいました。

牛市は10月から2月に開催されました。牛市の日には付近の民家がうどん屋になり、道路にはたい焼き屋などの露店が並んで賑わいました。多い時には、養父駅から貨車50輌に子牛が載せられ、三重県松阪市や滋賀県などに運ばれたという話が伝わっています。

牛市場の入口には、牛の飼育に必要なブラシや鼻木、装飾具などを販売店する雑賀商店があります。

但馬牛は労働力から牛肉へと役割が代わりました。現在、日本の黒毛和牛の99・9パーセントは、香美町小代区貫田の田尻松蔵氏が育てた田尻号の血統が入っているといわれています。

昭和48年(1973)、養父・豊岡・竹田・湯村・村岡の牛市場を統合して、養父市場から約2キロメートル離れた大薮に但馬家畜市場が完成しました。

令和4年(2022)5月、牝牛と去勢牛を合わせて342頭が上場され、販売総額は約2億3千万円になっています。

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