まちの文化財(199)養蚕秘録と養父神社

更新日:2021年09月21日

養父神社と彫った石碑

養父神社と彫られた石碑

養父神社の参道と拝殿

養父神社の参道と拝殿

上垣守国の養蚕秘録

上垣守国の養蚕秘録

享和3年(1803)、蔵垣村の上垣守国は『養蚕秘録』という本を出版しました。文政12年(1829)オランダ商館の医師であるシーボルトは、シーボルト事件により国外追放となりましたが、帰国に際して『養蚕秘録』をオランダに持ち帰りました。嘉永元年(1848)、ライデン大学教授のホフマンが『養蚕秘録』をフランス語に翻訳して、パリとトリノで出版しました。上垣守国が『養蚕秘録』出版してから45年後のことになります。

この『養蚕秘録』には語呂合わせのような伝説が紹介されています。「養父大明神は薮崎に出現し、農器具を鉄屋で作り、土地を開墾した所を土田という。米のできた所を米地、蚕の糸をとった所を糸井の郷という」というものです。

さらに「養父大明神は養蚕の神様であり、但馬国中から人々が生糸や真綿を初穂として捧げて祈願します。境内の小石をいただいて帰り、蚕室に置いてネズミを除けるお守りとして、猫石と呼びます」と説明しています。飼育している蚕やまゆ玉を破って蛹を食べるネズミを防止するために、蚕室にお守りとして猫石を置きました。養父神社に参拝して御札も授かって帰りました。

養父神社の入口には「明神大社養父神社」と彫った石碑があり、その裏には「紀元二千六百年記念、養父郡養蚕業組合、昭和十五年」の文字があります。台座には「養蚕業隆昌祈願」のほか、「寄付者、郡内養蚕家、取引製糸、養父乾繭(かんけん)、北部乾繭」などの文字があります。乾繭とは、貯蔵のために繭を乾燥させて中にいるさなぎを殺す作業のことです。

養蚕の繁栄祈願のために石碑が奉納されました。養父神社は、江戸時代から現在まで養蚕の繁栄を祈願する神社という信仰があります。

上垣守国の『養蚕秘録』は、全国各地の養蚕技術を記録して養蚕の知見をまとめたものです。豊富な挿絵がある分かり易い本です。ヨーロッパに日本の養蚕技術が紹介されたことから「海を渡った養蚕書」とか、「日本の技術輸出第1号」と言われています。また、小泉八雲は日本に来る時、日本文化の参考書としてフランス語版の『養蚕秘録』を持参しました。当時のヨーロッパでは豊富な挿絵によって日本文化を知る参考書にもなりました。

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