まちの文化財(197)明延鉱山の山神宮跡

更新日:2021年09月21日

山神宮の参道

山神宮の参道

山神宮跡を示す石碑

山神宮跡を示す石碑

狛犬と蛇紋岩の灯篭

狛犬と蛇紋岩の灯篭

閉山の日の山神宮

閉山の日の山神宮(昭和62年)

明延鉱山には鉱山の守り神として山神宮が祀られていました。愛媛県今治市大三島にある大山祇(おおやまづみ)神社から分祀された大きな神社です。

山神宮は明治中頃に創建され、現在の明延トンネルの東側に移転し、昭和8年12月には旧明延小学校の運動場の位置に移転しました。さらに昭和30年、その西側の山の上に移転しました。毎年4月の第2日曜日が山神祭りでした。

昭和25年、富田砕花(さいか)という詩人が『歌風土記兵庫県』を出版しています。この中に「南谷は山神まつり、ごったがえす大屋市場のT字路のバス」「労組のこの婦人部員、(山神)まつり日を、何の係か地下足袋のまま」の歌があります。

山神宮の拝殿は正面18メートル、奥行12メートルの大きな建物です。昭和62年3月1日、明延鉱業株式会社の多久誠五社長たちは拝殿で鉱山の閉山を報告しました。神社の下の広場には、吹雪の中を約380人の関係者や住民が集まりました。

多久社長は「私たちの明延鉱山は閉山しますが、ここには地下資源がまだ存在しています。現実にあるんです。いつの日か再び見直される日が必ず来ると確信しています。これは私の夢です」と、閉山のあいさつをされました。豊富な資源を掘り出せないことに対する鉱山マンの悔しさが伝わってきます。

明延鉱山は閉山しました。神社の建物は解体され、ご神体は大山祇神社に還御されました。現在も残る玉垣には明延鉱山労働組合、株式会社日本カーリット、日本通運新井営業所、明延商業会、明延婦人会など60以上の寄付者の名前が彫られています。山神宮跡に残された狛犬が、明延の移り変わりを静かに見つめています。

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