まちの文化財(193)浅野小学校の恐竜

更新日:2021年03月29日

ブラキオサウルスとトリケラトプス

ブラキオサウルスとトリケラトプス

メタセコイヤ

メタセコイヤ

ティラノサウルス

ティラノサウルス

卒業記念の恐竜の像

卒業記念の恐竜(平成20年頃撮影)

平成24年3月31日をもって浅野小学校は広谷小学校に統合しましたが、現在も県道から校庭に恐竜のコンクリート像やメタセコイヤの樹木が見えます。

昭和30年代の浅野小学校は、児童数が約280名もいる活気にあふれる学校でした。当時は理科教育に力を入れて「学校動植物園」という取組を実践しました。

屋外には、気象観測所、水田、前世紀動物園、森林三角園。中庭には花壇、鶏舎、小禽舎、家庭菜園、温室、子供水族館。南庭には梅林、岩石園、日時計がありました。こうした施設は教師や保護者が協力した奉仕活動によって作られました。

昭和36年から4年間、卒業記念として前世紀動物園を作ることになりました。「2億年まえに地球を支配していた巨獣(恐竜)」を制作する取組です。

昭和36年度、担任の藤原浩三先生の指導で児童43人が、高さ3メートルで全長6メートル、実物の2分の1の大きさの雷竜(ブラキオサウルス)を制作しました。鉄筋を入れてセメントで仕上げました。

昭和37年度、担任の盛谷繁先生の指導で児童42人がティラノサウルスを作りました。昭和38年度はステゴサウルス、昭和39年度はトリケラトプスを制作しました。

当時の真水耕三校長は、「玄関前の広場を大昔の動物模型でうめる。植物は当時と似たシュロなどを植え、爬虫類が天下をとった時代を再現してみよう」と提案されました。

昭和3910月に東京オリンピックが開催された翌年の昭和40年3月、恐竜の動物園が完成しました。浅野小学校は恐竜のいる学校として有名になりました。生活がまだまだ貧しい時代の中で、学校も農村も農業も活気があって輝いていました。

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