まちの文化財(184)中瀬金山町と寺院

更新日:2020年05月20日

奈良時代創建の大日寺

奈良時代創建の大日寺

江戸時代初期創建の金昌寺

江戸時代初期創建の金昌寺

江戸時代初期創建の金光寺

江戸時代初期創建の金光寺

豊臣時代創建の宝泉寺

豊臣時代創建の宝泉寺

中瀬地区は、「中瀬鉱山関連遺構・中瀬鉱山町」として、日本遺産「播但貫く、銀の馬車道鉱石の道」の構成文化財に認定されています。中瀬鉱山は日本遺産の一つです。

中瀬の町並みは、東西方向にのびる道路と街区にそって長方形の土地区画が並びます。その一方で、北側の高台には方形の土地区画があり、江戸時代には陣屋(金山役所)が置かれていました。こうした土地区画は、豊臣時代に作られた八木や竹田の城下町と共通する「横町タイプ」という都市の構造です。

中瀬金山は、豊臣秀吉の直轄地である太閤蔵入地(くらいりち)でした。豊臣家の「慶長三年蔵納目録」という資料には「但馬国中瀬黄金山」と表現され、秀吉に代わって生野代官と八木城主の別所吉治が支配し、金127枚、銀350枚の運上(税金)を納めています。

中瀬には金昌寺(曹洞宗)、宝泉寺(日蓮宗)、常運寺(浄土宗)、金光寺(浄土真宗)、大日寺(真言宗)などの各宗派の寺院があります。金昌寺は金山繁昌、宝泉寺は金という宝が泉のように湧く、金光寺は金がまばゆく光など、金山を連想する名称です。宝泉寺は文禄2年(1593年)、金昌寺は慶長14年(1609年)の創建です。宝泉寺が作られた豊臣時代に町並みが整備され、金昌寺が作られた江戸時代に街並みの一部が再整備されたと推定しています。

 江戸時代の絵図には中瀬金山町と記録され、町名に九郎右衛門町、長右衛門町、利左衛門町などの人名が付けられています。中瀬の町には金山で働く山師たちが生活していました。中瀬金山は1580年から1650年頃まで多量の金を産出しました。このため中瀬には、天正期から文禄期の一石五輪塔、寛文期から元禄期に作られた板碑などの供養塔が残っています。

中瀬は、豊臣秀吉や徳川家康が直轄地として整備した鉱山都市です。鉱山都市には、役所関連遺跡(陣屋跡、口固番所)、生産遺跡(採鉱、製錬)、生活遺跡(集落、社寺、水田)、流通遺跡(道路、道標)などが認められます。

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