まちの文化財(183) 大屋小学校と荒木寅三郎

更新日:2020年05月20日

荒木寅三郎の書

荒木寅三郎の書

斎藤隆夫氏の書

斎藤隆夫氏の書

昭和4年に完成した校舎

昭和4年に完成した校舎

昭和4年の門柱と現在の校舎

昭和4年の門柱と現在の校舎

 

昭和4年、現在の大屋小学校の場所に大屋尋常高等小学校が移転、新築されました。尋常小学校6年、高等小学校2年を併設した小学校です。敷地には8学年の教室と理科室や裁縫室(礼法室)がある二階建の校舎、講堂、さらに幼稚園を併設しました。昭和4年に建立した校門の石柱は在郷軍人会の寄贈であり、現在も残っています。

大屋小学校の校舎1階に自彊不息(じきょうやまず)と書いた額が掲げられています。儒教の書物である易経の中の「天行は健(すこやか)なり。君子はもって自ら彊(つと)めて息(や)まず」の一節です。「自分から進んでつとめて励み、少しも休まず努力すること」、正直に目標に向かい「つとめてやまない」心構えを表しています。荒木寅の署名があります。

荒木寅というのは、荒木寅三郎氏のことです。明治32年に京都帝国大学の教授となり、大正4年から昭和4年まで15年間京都帝国大学総長として活躍しました。

八鹿小学校にも荒木氏の培基根(ばいきこん)という額があります。昭和39年、八鹿小学校長となった東井義雄先生はこの言葉を「根を養えば樹はおのずから育つ」と説明し、教育目標としました。

自彊不息の額は、大屋尋常高等小学校の講堂に掲げられて校訓となっていました。昭和6年、大屋村の村長を務めた松田鹿三氏が寄贈したものです。平成18年4月、統合した大屋小学校の開校に伴ってこの額が再び掲示されました。この額は旧大屋小学校から受け継いだものです。

また、校長室には南谷小学校から受け継いだ斎藤隆夫氏の修徳勤学(しゅうとくきんがく)の額があります。修徳と勤学は斎藤氏の座右の銘の一つであったのでしょう。豊岡市出石町出身の斎藤隆夫は桜井勉氏の書生となり、原六郎氏からの学費支援をうけて弁護士となりました。大正元年に衆議院議員に当選し、昭和21年吉田内閣、昭和22年片山内閣で国務大臣を務めています。学校には地域の先人たちの願いを伝える額が受け継がれています。大屋の教育の歩みを示す言葉として注目しています。

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