まちの文化財(182) 東井先生と八鹿小学校

更新日:2020年02月14日

八鹿小学校の玄関にある書

                                                        八鹿小学校の玄関にある書

伊佐小学校にある石碑

伊佐小学校にある石碑

広島大学から送られたペスタロッチ像

広島大学から贈られたペスタロッチ像

 

東井義雄先生は、八鹿小学校の校長として子ども一人一人を大事にし、子どもを伸ばす教育を実践しました。

東井先生は、昭和32年『村を育てる学力』という本を発行し、全国の教育者に実践が知られるようになりました。昭和34年、出石郡但東町の相田(あいだ)小学校長となり、続いて高橋中学校長となりました。またこの年、広島大学からペスタロッチ賞を受賞しました。昭和39年4月に、八鹿小学校長となり、昭和47年3月まで8年間勤務しました。

八鹿小学校では職員向けの研修通信誌『培其根(ばいきこん)』を発行しました。『培其根』とは職員が提出する実践記録を東井先生が抜き出し、教育のあり方を職員に問いかけた謄写版(ガリ版)刷りの通信です。八鹿小学校にあった荒木寅三郎氏の培其根という書の言葉から取ったもので、東井先生はそれを「根を養えば樹はおのずから育つ」と説明しています。

昭和46年に東京の出版社から『東井義雄著作集』全10巻が刊行され、昭和53年に『培其根』が復刻されました。八鹿小学校に東井先生の「心にスイッチを」という詩が掲げられています。伊佐小学校の正門付近には「私は私を創っていく責任者」という東井先生の言葉を刻んだ石碑が建てられています。

東井先生が目指した「ひかりいっぱいの学校」の詩の一部を紹介します。「やんちゃな子からはやんちゃな子の光、おとなしい子からはおとなしい子の光、気のはやい子からは気のはやい子の光、ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光、正直者からは正直者の光、男の子からは男の子の光、女の子からは女の子の光、教室も運動場も光いっぱい」。

東井義雄先生は、全国的にも著名なふるさとの先人です。平成6年、豊岡市但東町に東井義雄記念館が開館しています。