まちの文化財(179) 戦闘機の紫電改

更新日:2019年12月06日

加西市で復原展示の紫電改

加西市で復原展示の紫電改

昭和20年八鹿工場の紫電改

昭和20年八鹿工場の紫電改

 

令和元年6月、加西市の旧姫路海軍航空隊鶉野(うずらの)飛行場跡の滑走路に紫電改(しでんかい)という戦闘機の実物大模型が完成し、全長約9メートル、幅約12メートルの姿が格納庫の中でよみがえり、平和学習のために公開されています。

昭和18年9月、太平洋戦争の進展に伴って郡是製糸(ぐんぜせいし)株式会社八鹿工場は製糸事業を中断し、川西航空機株式会社姫路製作所の協力工場として紫電、紫電改という海軍の局地戦闘機を生産しました。

八鹿工場で製作された部品は八鹿駅から鉄道で姫路製作所に運んで組み立て、さらに鶉野飛行場から海軍航空基地に飛び立ちました。

昭和19年5月には海軍航空本部直轄の八鹿航空機製作所となりました。昭和20年になると従業員に加えて、挺身隊(ていしんたい)、学徒動員(がくとどういん)、国民学校高等科の学童動員などを含めて約2000人が3交代で働きました。

昭和20年3月以降、アメリカ軍の爆撃機B29による日本各地の市街地爆撃が本格化しました。3月10日の東京大空襲では焼夷弾(しょういだん)で8万人以上が焼死し、名古屋、大阪、神戸が連続して空襲されました。昭和20年6月、姫路大空襲で姫路工場が焼失したことから八鹿工場が主力工場となりました。

紫電改は本土防衛のための新型戦闘機として開発されました。八鹿工場では胴体を中心に水平安定板・フラップ・尾翼昇降蛇(びよくしょうこうだ)・方向蛇・翼端を作り、養父工場で補助翼を生産しました。材料はジュラルミンです。エンジンは2000馬力で、高度1万メートルまで上昇し、急旋回を得意としました。日本を爆撃するB29を迎撃した戦闘機として有名です。

紫電改は西宮市の本社で約400機、姫路製作所で44機が生産されました。戦争中の一時期ですが養父市で戦闘機が生産されています。そして、昭和20年6月には紫電改の生産体制が再編され、山陰線沿いにある八鹿・養父・福知山・綾部の工場が連携して組み立て、福知山飛行場から飛び立つ体制となりました。戦後、八鹿工場では残ったジュラルミンを使って筆箱、文房具箱、弁当箱などが作られました。

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