まちの文化財(180) 伊能忠敬の測量

更新日:2019年12月06日

測量隊が宿泊した養父市場村

測量隊が宿泊した養父市場村

養父市場の街道

養父市場の街道

 

伊能忠敬(いのうただたか)は近代的な日本地図を作成するために、56歳から72歳まで17年間に渡って全国を測量しました。伊能忠敬の測量は江戸幕府の仕事で、測量隊は現地の作業員を含めると総勢約200人にもなりました。

伊能忠敬は文化11年(1814)1月13日から18日までの真冬の養父市内を測量しました。70歳の伊能忠敬が率いる本隊は、1月14日に梁瀬から和田山・堀畑を通って養父市場に到着し、2日間宿泊しました。15日は鉄屋米地から高中(こうなか)・和賀まで測量し、16日は薮崎・網場・大森、そして上小田・宿南・宵田を測量し、豊岡市に入りました。

副隊長の永井要助が率いる支隊は、1月13日に堀畑から谷間地を通って広谷・朝倉・高柳・関宮・村岡まで山陰道を測量し、そこから引き返して高柳から、とが山を越えて馬瀬・知見を測量し、豊岡市に入りました。

堀畑村の豊岡街道と大屋街道の分岐点にはホ印の測量点、高柳村の気多(けた)街道と山陰道の分岐点にタ印の測量点を設置しています。測量は厳密であり各地で測量点を残しています。

1月14日の測量日記には「午後1時に養父市場村に到着した。本陣は酒屋又右衛門(またざえもん)の家である。この夜、星を測った」と書いています。測量は街道や地形にそって距離と方位角を測る導線法が基本ですが、夜の同時刻に北極星などの恒星を観測して地球の緯度や経度を計算しました。

この測量は、姫路市から豊岡市まで兵庫県を南北に地形を測量する行程です。日本海と瀬戸内海の測量基準点を結んで地図の誤差を確認する目的もありました。但馬国内では主な街道を測量をするだけでなく、武士が生活する生野代官所、村岡陣屋、豊岡陣屋、出石陣屋にいたる街道を測量しています。

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