まちの文化財(103) 氷ノ山の地蔵堂

更新日:2019年11月15日

登山道の横にある氷ノ山地蔵堂

登山道の横にある氷ノ山地蔵堂

地蔵菩薩の木像

地蔵菩薩の木像

 

最近、氷ノ山は「ひょうのせん」という呼び方が定着してきました。しかし昭和50年代までは兵庫県では「ひょうのやま」や「ひょうやま」と呼びました。これに対して、鳥取県では昔から「ひょうのせん」という呼び方が一般的でした。因幡国では修験道が盛んで、山を聖地として「せん」と呼びんだからだと説明されています。また氷ノ山は、他にも須賀ノ山(すがのせん)や四ケノ山(しかのせん)とも呼びました。

福定の親水公園から氷ノ山登山コースを約2時間登ると、鳥取県の県境にある峠に到着します。ここは標高1,234メートルで、鳥取へ通じる「氷ノ山越え」という街道の峠にあたります。昔、山中鹿之助・島津家久・八木豊信などの武将たちも通りました。

街道の峠には石で作ったお地蔵さんがあります。ここには、江戸時代中頃まで、地蔵堂がありました。 伝承では慶長11年(1606)、村岡藩が旅人の休憩所として領地内に26か所の辻堂を整備しました。その一つとして、標高1,230メートルの「氷の山越え」という山道の峠に地蔵堂が作られました。現在は峠から兵庫県側におりた標高920メートルの位置、登山道に面して氷ノ山地蔵堂があります。現在も、登山者の避難小屋にもなっています。

『七美(ひつみ)郡誌稿』という本によると、昔、氷ノ山の山頂には御手洗権現・蔵王権現・地蔵権現の3体が祀られていました。しかし慶長11年(1606)、舂米(つくよね)・鵜縄(うなわ)・福定の集落で3体を分配しました。その一つが、この氷ノ山地蔵堂であるといいます。 地蔵堂にある現在の本尊は、明治28年、葛畑土人形作者の第2代目、前田太蔵氏が制作した地蔵菩薩坐像です。

氷ノ山越えの道は、昔から鳥取に向かう山陰道の脇街道として重要なものです。この地蔵堂は、もともと村岡藩が、旅人の安全を確保するために、峠の避難小屋として設置したものなのです。

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