まちの文化財(86) 徳川家康と朝倉山椒

更新日:2019年11月18日

朝倉の集落

                            朝倉の集落

朝倉にある山椒の畑

                      朝倉にある山椒の畑

 

JAたじまに朝倉さんしょ生産部会(会長福井悦雄氏)があります。現在、会員数は194名、出荷量3,720キログラム、販売金額は665万円になります。特産品として朝倉山椒の生産に取り組んでいます。

現在、全国で栽培されている山椒の多くは、朝倉山椒の中でも大きな実のなる苗木を交配して品種改良したものです。枝にトゲがなくて実が多く、香がよいのが特徴です。

植物学ではサンショウと言います。ミカン科サンショウ属サンショウになります。明治45年、植物学者の牧野富太郎先生がこの山椒を新品種と認定し、アサクラザンショウの名称で登録しました。このため現在は、山椒の品種となっています。但馬地方では朝倉さんしょと呼んでいます。

実は、朝倉山椒は400年も昔からありました。日本で最初に朝倉山椒の名称が古文書に表れるのは、慶長16年(1611)9月26日、駿府城の徳川家康に、但馬生野奉行の間宮新左衛門(まみやしんざえもん)が、朝倉山椒を献上した記録です。ちょうど平成23年は徳川家康に朝倉山椒が献上されてから400年目にあたります。朝倉集落で多くの山椒が栽培されたことから朝倉山椒の名前が付いたと言われています。

寛永年間と考えられている11月2日には、出石出身の名僧である沢庵和尚が、松平阿波守(徳島藩主蜂須賀家政と推定)に朝倉山椒、一折を贈呈しています。

また天正14年(1586)、豊臣秀吉が茶店で、白湯に焦がした山椒をふりかけて浮かして飲んだ。「淡薄で一興、風流だ」と言って喜んだという話も伝わっています。

つまり朝倉山椒は、大名の献上品として始まった特別な商品です。江戸時代には出石藩、篠山藩などが江戸幕府に献上しました。枝の着いた房のままの成熟した山椒を袋や箱に入れて献上します。朝倉山椒は、400年の由緒をもつ但馬を代表する名産品です。京都府の宇治茶と同じように、大名の贈答品として使われた歴史的なブランド商品であり、天下一の山椒です。

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