まちの文化財(85) 山路の郷蔵

更新日:2019年11月18日

山路の郷蔵

                             山路の郷蔵

大屋市場のモミ蔵

                       大屋市場のモミ蔵

 

寛政2年(1790)、江戸幕府は飢饉対策として凶作に備えて穀物を貯蔵する郷蔵や囲蔵を建てるように命じました。籾、麦、稗などの穀物を詰め替えて村で保存し、飢饉に備えるものです。

この郷蔵が、山路に現在もあります。山笠区長栃尾仁さんは「地元では昔から、ぼうぐらと呼んで守ってきました。郷蔵がなまったものです。現在も区の大切な財産です」と説明します。つまり江戸時代に村が飢饉に備えて作った穀物を備蓄する土蔵が郷蔵なのです。

山路の郷蔵は、昔の旧県道に扉をむけて一棟だけ立っています。瓦葺2階建ての建物で、正面340センチメートル、側面290センチメートル、屋根までの高さは500センチメートルあります。建物本体の前側は半間、後側は一間の幅ですが、屋根の幅はいずれも一間半です。つまり前側の屋根は一間の幅でのびて庇を兼ねています。

山路の郷蔵は、「災害から命をまもる」「物を大切にする」「近隣どうしが助け合う」など、自助の精神を今の時代に伝える歴史文化遺産です。この「郷蔵」のこころを取り入れて、大屋地区で県民交流広場事業「郷蔵の会」(会長松田茂男氏)が作られました。そして大屋市場のモミ蔵を交流施設として整備しました。

平成23年9月17日、「郷蔵の会」が災害に備えて炊き出し訓練を行いました。大屋市場には区のモミ蔵があります。モミ蔵も「平成の郷蔵」として、住民の交流と災害用の備蓄に利用するために整備されました。

天保7年(1836)、大屋市場から西側の集落は出石藩から生野代官所に支配替えとなりました。安政4年(1857)、大屋市場村が生野代官所に提出した囲蔵の設置許可願いが残っています。大屋には郷蔵や囲蔵が作られました。

郷蔵や囲蔵は、江戸幕府が飢饉対策として全国に設置を命じたものですが、但馬地方でも残っているのは大屋地区だけのようです。

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