まちの文化財(63) 関神社と中井権次

更新日:2019年11月15日

脇障子の銘文

                        脇障子の銘文

(上)関神社の本殿(下)中井権治の彫刻

(上)関神社の本殿(下)中井権治の彫刻

 

お正月の初詣で神社を訪問した人も多いでしょう。神社や寺院の建物には優れた彫刻が刻まれています。

江戸時代後期から昭和初期に活躍した彫刻師に丹波柏原の中井家があります。中井権次(ごんじ)を襲名して、多くの彫刻を但馬・丹波・丹後に残しました。

関宮にある関神社の本殿は弘化4年(1847)、拝殿は天保14年(1843)の建築です。いずれも中井家の彫刻です。本殿の裏側にまわって脇障子という部材をみると「彫物師、丹州柏原町住人、中井権次橘正貞」の文字が見えます。中井家は、柏原藩お抱えの彫刻師で、その3代目が正貞です。

関神社は、江戸時代には祇園牛頭天王(ごずてんのう)関宮社と言いました。この言葉は、祇園・牛頭天王・関宮社という三つの語句に分かれます。 牛頭天王の信仰は、京都八坂神社や姫路広峰神社を本宮とします。疫病や災厄を鎮める祇園信仰と、米の豊作を祈る農業信仰の二つの性格があります。関神社の神様が疫病を防いだという伝説は祇園信仰によるものです。そして関神社の夏祭りは、現在も祇園祭と呼ばれています。

中井家の彫刻は、龍や獅子噛(しかみ)に特徴があります。獅子噛は、獅子が上の歯列でものをかんだ顔を彫刻するものです。通常は大杉二宮神社本殿のように正面の唐破風(からはふ)の下に彫りますが、関神社の場合では側面の妻飾(つまかざり)にあります。

中井家の彫刻は大久保大久保神社、大杉二宮神社、能座中尾神社、十二所満福寺本堂、馬瀬清養寺本堂内部、赤崎進美寺観音堂、香住大乗寺山門などに見られます。

身近な所に美しい彫刻があります。火災除けのために水を表す波や雲の彫刻も好まれました。綺麗な彫刻で飾られた社寺建築は、彫刻の博物館でもあります。

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