まちの文化財(17) 八鹿駅の跨線橋
跨線橋の近景
「鉄道新橋 明四十」の文字
明治・大正・昭和の日本を作ってきた建造物や土木遺産などを「近代化遺産」と呼んでいます。八鹿駅に線路をまたぐ鉄橋があります。これを跨線橋といいます。この跨線橋が大切な近代化遺産なのです。
明治38年(1905)、今から百年前に日露戦争がありました。日本はロシアに勝利し、中国や韓国での権益確保を強化します。こうした中で、日本海地域の交通網の整備が急務となりました。そして明治39年、福知山駅から島根県の出雲今市駅(現・出雲市駅)を鉄道でつなぐ山陰線が計画されました。
八鹿駅の改札口を入って上りのホームに向かう跨線橋の正面に2本の柱があり、その柱の下側に文字が刻まれています。ペンキが塗られて分かりにくいですが、「明四十」、「鉄道新橋」の文字が読めます。これは、明治40年に逓信省帝国鉄道庁新橋工場で制作したという意味です。
跨線橋を支える柱は、鋳鉄で作られています。柱の形状は、四角柱の柱の上に先が細くなる円柱の柱をのせています。こうした柱の表現方法は、明治期後半から大正期にかけて盛んになった洋風建築で見られるハイカラな技法です。
この跨線橋は明治41年の福知山駅に、山陰線の起点を示すシンボルとして建設されたものです。そして八鹿駅も明治41年7月1日に開通しました。
八鹿駅では戦時の鉄材供出で跨線橋がありませんでした。このため昭和29年、養父郡14町村長が国鉄に陳情し、福知山駅に新しい鉄橋が完成するのを待って譲り受けました。昭和30年1月1日に八鹿駅で渡り初めがされました。
現役で活躍する跨線橋では、日本最古の一つでしょう。山陰線のシンボルとして作られた跨線橋が、今日も養父市を訪れる人や旅立つ人を静かに見守っています。
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更新日:2019年11月18日