まちの文化財(172) 天滝の語源は

更新日:2019年11月20日

新緑に映える天滝

新緑に映える天滝

富田さいかの石碑

富田砕花の歌碑

 

天滝は落差98メートルの兵庫県最大の滝です。天滝はなぜ天滝と呼ばれているのでしょうか。

寛延4年(1751)出石藩の儒学者桜井舟山(しゅうざん)が編集した『但馬考』は、「滝は三千尺と思えるほど高く、水の流れを見ると銀河が天から落ちてくるように見える(飛流直下三千尺、疑是銀河落九天)と昔から言うから、天滝と名付けられたのだろう。出石藩主の小出英安(ふさやす)侯も領内にある天滝を遊覧された」と解説しています。小出英安侯は、延宝元年(1673)から元禄4年(1691)まで出石藩主を務めています。

また儒学者池田草庵は、嘉永元年(1848)4月9日、弟子や案内人と天滝を訪れて『遊天滝記』という漢詩を作りました。

「天滝というのは、雲の間から水が落ちてくるからだろう。仰ぐと、高い断崖の間から激しく水が落ちてくる。小さな光る珠が長い糸がもつれて落ちてくるようだ。めまいがして魂が奪われそうだ。石に座り飯を食べ、酒を酌み交わした。心は清められ、俗界の汚れが流される」池田草庵は、天滝は素晴らしいと絶賛しました。新緑の天滝を見ながら食べた弁当は格別においしかったのでしょう。

また、兵庫県を代表する詩人の富田砕花(さいか)氏は八鹿高等学校の校歌を作詞した人物です。富田砕花は天滝を訪れて「青雲にひびきとよみて落ちきたる、天滝なりと、こころつつしむ」の歌を詠んでいます。

先人たちは、青雲の雲の間から光る珠のような水が落ちる様子をみて天滝と表現しました。天滝は現在も同じ姿で私たちを迎えてくれます。

 

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