傷痍軍人之霊碑

傷痍軍人之霊と刻んだ碑

境内

境内地の様子

東井義雄碑文

東井義雄先生による碑文

多くの石碑

多くの石碑が配置される

令和7年は昭和100年にあたります。昭和20年(1945)8月15日太平洋戦争(大東亜戦争)が終わりました。八鹿町天子の屋岡神社前に、但馬の傷痍(しょうい)軍人を祀る碑があります。

高さ4メートルの石碑に「傷痍軍人之霊 陸軍大将男爵本庄繁書」と刻み、その前に13基の副碑を置いて但馬地区関係者の氏名を記しています。他にも敷地には鳥居や灯籠が建てられています。

昭和42年に但馬傷痍軍人連合会は、八鹿小学校長東井義雄先生に原稿を依頼し、解説の石碑を建立しています。

「我らの育まれしこの美しき国土は、これ我らの父母の眠れる処。その連綿たる歴史と香しき文化はこれ父祖の築きたりもの、これを護りこれを継ぎ、これに栄光をあらしむるは我らの責務なり。この故に先輩師友、海征かば水(みづ)く屍(しかばね)、山征かば草むす屍と、その若き美しき生命をも敢て祖国に捧げられし也。我等またこれに続かんとして国難に臨み、ある者はその生身の腕を捧げ、ある者はその脚を捧ぐ。またある者は肉を削り骨を砕き捧げて、もって身を傷痍となし、しかも悔いず。然るに戦(いくさ)敗るるや世道混迷(せどうこんめい)、人倫顚倒(じんりんてんとう)、世風にわかに冷く我らの傷痕に惨(いた)む。我ら、老父母妻子を擁して幾度も悲嘆せん(後略)」。(参考『八鹿の碑文』小田垣義雄、昭和61年発行、274頁)。戦争の悲哀を体験した者の言葉が綴られています。

太平洋戦争の時、八鹿町出身の出征兵士は、屋岡神社に武運長久と戦勝祈願を団体参拝してから入隊しました。出征兵士にとって屋岡神社は特別な場所です。ここには他にも日露傷痍軍人碑、大日本傷痍軍人碑、但馬傷痍軍会二十周年記念碑などがあります。

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