明治12年に初代が建設された屋岡橋
天子区にある屋岡神社
八鹿駅ホームの駅名表示板(昭和22年頃)
『写真集八鹿の移り変わり』より
屋岡小学校の印
『八鹿小学校創立100年記念誌』
八鹿の地名の始まりについて、昭和35年10月発行の『八鹿広報』の中に『八鹿町勢要覧』を引用した解説があります。「天熊人命(あめのくまひとのみこと)は夜夫(やぶ)の谿間に桑を植え、蚕を屋岡(やおか)に養うたので屋岡原というようになった。但馬(たじま)の国号は谿間(たにま)から来ているし、八鹿(ようか、屋岡)は、八桑枝(ヤクワエ、桑の枝がよくのびているさま)からかわったものである。」
これは『但馬故事記』をもとにして、養蚕が盛んで桑の木が茂った「八桑枝」という風景が「屋岡」になり「八鹿」になったという解説です。魅力的な説明ですが、桑の木を植える養蚕と生糸の国産化は江戸時代中期に始まります。物語りに無理な点が多く、江戸時代の伝説と考えられています。
歴史的史料では永正13年(1516)「ヤウカ」、弘治3年(1557)「屋うか」の地名が確認できる最も古い記録です(『兵庫県の地名1』日本歴史地名体系29巻1、平凡社)。「八鹿村」という漢字は豊臣秀吉の太閤検地で定まり、現代まで続いているようです。現在の大字「八鹿」は、奈良時代の但馬国養父郡老左(遠佐・小佐)郷の中にある一部の範囲であり、地名の記録は確認できません。
「屋岡」の漢字の使用は明治時代初期に出現します。明治6年八鹿村に八鹿小学校の前身となる屋岡小学校が設立されます。また天子区の八幡宮を屋岡神社と改称し、延喜式にある神社名を再興しました。そして明治12年に新設された県道にかかる橋は屋岡橋と命名されました。「屋岡」という地名は明治時代初期、新時代の言葉として流行しています。
昭和20年代の平仮名表記では「ようか」の他に、「よおか」「やをか」「やうか」も確認できます。八鹿はなぜ八鹿なのか、なぞは続いています。
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