厳島神社の境内にたつ顕彰碑
厳島神社の拝殿
守本恵観と盛谷観良の顕彰碑
厳島神社からみた三谷
江戸時代中期に全国に普及した庶民教育に心学(しんがく)があります。石田梅岩(いしだばいがん)や門人の手島堵庵(てじまとあん)によって広まりました。手島の門人である太田垣猶川(おおたがきゆうせん)が、天明5年(1785)に関宮村に設立した敬忠舎が但馬で最初の心学講舎です。太田垣猶川に学んだ西村潜堂は八鹿村に立誠舎を設立しました。後に、この建物を利用して池田草庵が漢学塾立誠舎を開きます。
明治初期に三谷村の盛谷観良は、自宅に心学講舎である信誠社を開きました。絵を入れた解説文(施印)を版木に彫って印刷し弟子たちに配りました。門弟は建屋村から広谷村まで広がって1000名をこえました。生涯にわたって心学道話を講じ、明治31年に没しました。
船谷村出身の守本恵観は、明治13年京都府知事の認可をうけて京都に信行社を設立しました。守本恵観は親戚にあたる盛谷観良とよく来訪し、京都の信行社が本社、但馬の信誠社が支社という関係となりました。守本恵観は京都・東京・静岡・滋賀・兵庫(三谷村)等に支社を置き、門弟は5000人とも言われました(『養父町史第1巻』)。
池山の厳島神社には、4個の石材を組み合わせて作った高さ260センチメートルの頌徳碑があります。石碑の正面には「信行社長守本恵観先生、信誠社長盛谷観良先生」と刻んでいます。観良の門弟である盛谷盛三郎と宮垣健一郎が建立しました。養父市の中でも埋もれた庶民教育の足跡です。
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