但馬朝倉城跡からみた朝倉集落
但馬朝倉城跡(養父市八鹿町)
朝倉義景公の館跡(福井市一乗谷)
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館
令和4年、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡博物館が福井市安波賀に開館しました。一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国大名の朝倉義景が治める城下町であり、戦国時代を体験できる中世都市を再現した歴史を楽しむ観光地です。博物館の展示では「朝倉氏の先祖は但馬国朝倉庄(現在の兵庫県養父市)出身の豪族でした。延元2年(1337)、越前(福井県北部)の守護に従って入国した」と解説されています。
越前朝倉氏は、兵庫県養父市八鹿町の朝倉村という「村の地名」を苗字とした武将です。但馬国の朝倉庄に館を構えた朝倉高清という武将の子孫から越前朝倉氏、但馬朝倉氏、八木氏、宿南氏、奈佐氏などの武将が生まれました。一族は同じ「三盛り木瓜」を家紋としています。
江戸時代に大名や旗本の系譜を記録した『寛永諸家図伝』(真名本)によると、孝徳天皇の皇子とされる表米が天智天皇から「日下部」姓を賜り、養父郡の大領となって養父郡御陵に葬られたと記録しています(異説あり)。そして平安時代後期、朝倉高清の父の宗高から朝倉氏を名乗りました。
朝倉高清は源平の合戦において平家に味方して領地を没収されましたが、源頼朝から鎌倉で暴れる悪獣の白猪退治を命じられます。但馬国に帰って養父神社に七日間参篭祈願して悪獣を退治し、源頼朝から朝倉庄と八木庄の領地を返されたと伝わっています。
越前朝倉氏は、朝倉高清の子孫である朝倉広景が越前国の黒丸館に入って活躍し、一乗谷朝倉氏の祖先となりました。孝景・氏景・貞景・孝景(初代と同名)・義景まで約100年、越前一国を治めました。天正元年(1573)織田信長の越前朝倉攻めによって朝倉義景が自害して滅亡しました。
この時に焼き討ちにされた朝倉義景の城下町が完全な形で地下に埋まっていました。国の特別史跡や特別名勝に指定され、現在も発掘調査が続けられ、整備復元が進められています。
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