明延の山神宮

明延の山神宮

(昭和15年頃、現在はあけのべ自然学校敷地)

明延鉱山で採掘した錫の鉱石

明延鉱山で採掘した錫の鉱石

(あけのべ自然学校展示)

明延の初代協和会館

明延の初代協和会館(昭和15年頃)

明延鉱山の町並み

明延鉱山の町並み(昭和15年頃)

明延鉱山の錫は、いつだれが発見したのでしょう。農商務省鉱山局が作成した明治45年の年報には「三菱合資会社、生野鉱山明延坑は近年錫鉱の産出をもって、その名、最も顕著となれり。鉱区内には無数の露頭あり」と書かれています(『本邦鉱業ノ趨勢』、明治45年・大正元年版、『大屋町史史料編』より)。そして大正4年からは生野鉱山から独立して明延鉱山と明記されるようになります。

三菱金属鉱業株式会社明延鉱業所が発行した「三菱明延」という新聞があります。昭和34年1月20日発行の第138号に、日鉄鉱業株式会社常務の山口六平氏による次のような記事があります。

大正14年、恩師の東京帝国大学教授平林武博士に質問をした所、「明延の錫はぼくの発見だと世間ではいっているが、ぼくと渡辺渡先生との共同発見だ。当時、ズリとして捨てられていた低品位の亜鉛鉱の中に、錫石と思われる鉱石があったので大学に持ち帰った。渡辺先生と共に顕微鏡検査により重石(鉄マンガン重石・タングステン)と共存する錫石であることがわかった。その日は明治42年4月27日だ」。

渡辺渡博士は明治19年から大正7年まで東京帝国大学教授(後に東京帝国大学工科大学長)を務める一方、佐渡鉱山局技師(後に佐渡支庁長)や農商務省鉱山局長を兼務して、日本の鉱山業の発展に活躍された人物です。

明延鉱山の錫は明治42年に東京帝国大学の平林研究室で発見され、日本最大の錫鉱山へと発展しました。全国各地の鉱山で新しい金属を探査する取組のなかで、平林博士が明延鉱山を訪れて鉱石を発見したものです。

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