高柳の住吉神社にたつ顕彰碑
小林礫川が描いた縄ない図
進智共会の顕彰碑
顕彰碑に刻まれた文字
明治22年1月25日、高柳の福田、福井、福垣、秋田、植木という5人の青年が養父神社に参拝しました。この時に偶然、「国民よ早く眼をさませ。今年は大日本帝国憲法が発布される。お前たちは憲法や国会の何たるかがわかるか」という演説を聞いて感動し、知識と実業で高柳を発展させようと5人で夜学を始めました。
明治22年11月3日に進智共会(しんちきょうかい)という夜学会を15名で設立しました。一週間のうち4晩が学業で3晩は縄をない、縄を売ったお金でランプ代、筆墨紙、書籍などの学用品を買いました。指導者の一人は高柳に住む画家の小林礫川です。当時の小学校は4年で卒業でした。小学校を卒業した若者が集まって活動しました。
明治24年に大日本農会に入会し、淡路島鮎原村(洲本市五色町)の政所富太郎氏からフランス千成茄子・清国大円茄子・フロリダ煙草の種を買い、外国野菜の栽培を試しています。
明治27年には大日本農会を通じて群馬県に働きかけ、原当策という養蚕教師を招きました。蚕室に数段の棚を作って平らな竹の籠を入れ、藁の孤(こも、粗くあんだムシロ)を敷く群馬方式の養蚕方法「棚飼い」が、原当策の指導によって広まりました。竹の籠は八木の特産品となりました。また、埼玉県比企郡南吉見村(比企郡吉見町)の興農館から蚕種(さんしゅ、蚕の卵)を共同購入して高柳から大谷まで広く販売し、養蚕の改良に取り組みました。
明治28年には進智共会の建物を新築しました。この時、会員は41名です。小林礫川は会員が読書や縄ないに取り組む様子を描いた絵を寄付しています。
明治36年兵庫県立蚕業学校(後の県立八鹿高等学校)に、短期間で養蚕技術を習得できる別科(養蚕技術の取得を目的とした実技研修、期間6か月)が開設されると、進智共会から学費を支給する給費生として会員3人を入学させました。地域の発展に挑戦した進智共会は、高柳村青年団が組織される等の時代の変化の中で、大正15年に解散しました。
昭和3年、高柳の住吉神社の境内に進智共会の顕彰碑が建てられました。石碑には「(明治二十二年から)爾来四十年、會員増加し五十余名に上がる。其の盛んなるや知事郡長の表彰を受くこと再三に至る。(中略)解散する。而してその蓄積せし所の金を以って田に換え之を村社に奉献す」と刻まれています。元会員の福垣辰三氏が世話人となって建立しました。
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