まちの文化財(230)高野山の覚海上人

更新日:2024年03月19日

池山にある覚海堂

池山にある覚海堂

長野バス停のある顕彰碑

長野バス停にある顕彰碑

長野にある覚海大徳生家跡

長野にある覚海大徳生家跡

高野山の増福院にある顕彰碑

高野山の増福院にある顕彰碑

平成7年、長野のバス停の横に「覚海(かくかい)大徳生誕之地」と刻んだ石柱と顕彰碑が建てられました。その横にはコウヤマキが植えられています。

覚海大徳は、覚海という名前の徳の高い僧侶のことです。康治(こうじ)元年(1142)、長野の心行寺の南側にある覚海屋敷跡で生まれたと伝わります。

京都の醍醐寺座主を務める定海(じょうかい)上人のもとで出家し、後に、池山の与光寺に入りました。池山にある覚海上人を祀る覚海堂の場所は、与光寺の跡だといわれています。

さらに、覚海上人は高野山で寛秀上人に師事して灌頂(かんちょう)を受け、華王院を開きました。華王院は増福院(ぞうふくいん)という寺院に受け継がれており、門前には「覚海大徳翔天之旧跡」と刻んだ石碑が建っています。

覚海上人は、建保(けんぽう)5年(1217)、高野山検校に就任しました。仏法を護持するために天狗になり、中門の扉を翼にして天に飛び去ったという伝説があります。貞治2年(1223)年、82歳で亡くなりました。高野山霊宝館の近くには、覚海上人を祀るお堂があります。谷崎潤一郎は『覚海上人天狗になる事』という短編をまとめました。高野山を代表する伝説的な高僧の一人が覚海上人です。

覚海上人は、建屋・三谷地域では地元出身の高僧として慕われています。池山の覚海堂の前には、覚海大徳八百年遠忌の大きな角塔婆が建てられています。

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