まちの文化財(226)蛇紋岩の彫刻家たち

更新日:2023年10月04日

福王寺にある弘法大師千年供養塔

中の福王寺にある弘法大師千年供養塔

須西にある弘法大師坐像

須西にある弘法大師坐像

京都北野天満宮にある牛の像

京都北野天満宮にある牛の像

須西の弘法大師坐像の近景

須西の弘法大師坐像の近景

曹源寺にある地蔵菩薩坐像

大谷の曹源寺にある地蔵菩薩坐像

養泉寺にある地蔵菩薩坐像

大江の養泉寺にある地蔵菩薩坐像

蛇紋岩の地層が広がる地域のお米は養父市の特産品で、蛇紋岩米や温石米(おんじゃくまい)と呼ばれています。昔、この石を焼いて布に包んでカイロとして利用したことから、蛇紋岩を温石石(おんじゃくいし)と呼びました。養父市の中でも大屋川と八木川に挟まれた流域に蛇紋岩が分布しています。

大屋で産出する良好な蛇紋岩を使った彫刻が、大屋の蛇紋岩細工です。『大屋町史史料編』では、蛇紋岩で制作した灯籠や石仏・狛犬・手水鉢・礎石・墓石などを紹介しています。

江戸時代後期から昭和初期にかけて由良の伊澤家は蛇紋岩彫刻の第一人者であり、伊兵衛・元三郎・周三郎・馬造と4代に渡って活躍しました。

元三郎は、文政12年(1829)福王寺の境内に弘法大師千年供養塔、安政2年(1855)寄宮の弥勒堂に弥勒菩薩坐像を制作しています。周三郎は、明治15年(1882)京都市の北野天満宮に約4トンの原石を運び、8か月もかけて長さ78センチメートルの牛の石像を制作しました。

天保3年(1832)須西の観音堂前に弘法大師坐像、大谷の曹源寺と大江の養泉寺には地蔵菩薩坐像があります。これも元三郎の制作と推定しています。また、市内各地に蛇紋岩の灯籠があります。

文久3年(1863)、生野代官所を倒幕派の河上弥一や平野国臣が占拠した生野の変がおこります。朝来市山口の護国神社には、この時に自刃した武士を祀る、殉節忠士之墓誌銘と殉節忠士之墓の石碑があります。前者は山陰道鎮撫総督参謀の折田主税、後者は総督の西園寺公望の書です。この供養塔は、慶応4年(1868)に元三郎・周三郎が蛇紋岩を使って制作したものです。

その後、明治末期から昭和時代前期、由良の丸山増蔵氏や向繁一氏が優れた美術品を制作しました。昭和50年代には夏梅の鎌田正夫氏や大屋市場の水田操氏が活躍し、新聞やテレビで紹介されました。但馬で活躍した石の彫刻家たちです。

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