まちの文化財(225)名草神社拝殿の絵馬

更新日:2023年10月04日

拝殿の正面にある絵馬

拝殿の正面にある絵馬

石垣の上にある拝殿

石垣の上にある拝殿

神功皇后を描いた絵馬

神功皇后を描いた絵馬

日本武尊が戦う姿

日本武尊が戦う姿

九鹿ざんざか踊り奉納

九鹿ざんざか踊りの奉納 令和4年10月23日

完成イベントNAGSAI

完成イベントNAGSAI 令和4年10月23日

名草神社の拝殿は、令和4年10月23日、本殿と共に修復工事が完成しました。本殿の前で記念行事として「九鹿ざんざか踊り」が奉納されました。文化庁をはじめ工事関係者が揃って完成をお祝いしました。

拝殿は、江戸時代の元禄2年(1689)に建てられた建造物です。拝殿の正面に、この時に奉納されたと推定する2枚の絵馬があり、この絵馬も修復しました。絵馬は、拝殿の一部として拝殿と一体的に設計された痕跡があります。

左側の絵馬は武者姿の女性が左手に弓、右手に軍配を持って立っています。これは神功皇后(じんぐうこうごう)です。そして武内宿祢(たけのうちすくね)という白髪の老人が乳児を抱いています。神功皇后(夫・仲哀天皇)は玄界灘を渡って新羅を降伏させ、凱旋した九州の筑紫で応神天皇を生んだとされています。このため背景には海や松原が描かれることが多く、安産や子供の成長を祈願する画題です。昭和時代には3月の桃の節句にひな人形と一緒に布に描いたものが掲げられました。

もう一つの絵馬は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が日本を統一するために九州の熊襲と戦う場面だと推定しています。鎧の上に白い衣をきた人物が日本武尊です。白い衣によって高貴な人物を表わしています。矢が飛び交う中で、二人の人物を相手に奮闘しています。武運長久や大願成就を願う題材です。日本武尊は仲哀天皇の父(応神天皇の祖父)にあたります。昭和時代には5月の端午の節句の幟の題材にもなっています。

修復前の絵馬は、絵の具が剥落して表面は木目がみえるだけの状態となり、何が描いてあるのか分からない状態でした。板の上に描いた絵は、絵の具が風化を抑えて板の表面に凹凸を作る特徴があります。この特徴を利用して修復の専門家が、板の表面に斜光ライトを当て、線を一本ずつ丹念に確認して絵を復元しました。

修復された絵馬によって、300年以上も昔の参拝者の願いが分かります。それは、昭和時代まで桃の節句や端午の節句に好まれた題材であり、子どもの成長を願うものです。

絵馬はいずれも幅237センチメートル、高さ189センチメートルの大きなものです。境内地にあった杉の巨木の根元付近の部材から一枚板を作り、それを割り剥いで2枚の絵馬に利用されています。大きな板材は、樹齢500年以上の杉材と推定しています。

拝殿は、正面から見ると高さ約4.5メートル(2間半)の石垣の上に建てられた城門のような力強い迫力があります。しかし本殿からみると、平屋建ての穏やかな建造物です。美しい絵馬は、参拝者が神々の世界を身近に体感する重要な役割を果たしています。

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