まちの文化財(224)古代村と石ヶ堂洞窟

更新日:2023年10月02日

大きな岩に穴があく石ヶ堂洞窟

大きな岩に穴があく石ヶ堂洞窟

垂直の壁が立つヒビキ岩

垂直の壁が立つヒビキ岩

昭和40年の発掘調査

昭和40年の発掘調査

石ヶ堂採集の尖頭器

石ヶ堂遺跡採集の尖頭器

森区の石ヶ堂に古代村があります。古代村ではログハウスでバーベキューを楽しんで別荘気分を実感できるほか、キャンプ場もあって自然を体感できます。敷地内には、オートキャンプ場も整備されています。

古代村にあるキャンプ場から登山道を登ると、大テング岩、オオカミ岩、石ヶ堂洞窟、ヒビキ岩など多くの巨石があります。これを石ヶ堂の巨石奇岩と呼んでいます。

石ヶ堂洞窟は、幅30メートル以上もある大きな巨石の下が空洞になっており、縄文人たちの住居跡だろうと想像が膨らみました。このため昭和40年に岡山県の鎌木義昌先生を団長とした発掘調査が行われました。調査では縄文土器は出土しませんでしたが、奈良・平安時代の土器が見つかりました。

石ヶ堂洞窟から少し登山道をおりた場所にヒビキ岩があります。岩は人間が割ったような垂直の壁です。手を叩くと岩に音が反射してよく響きます。また、巨石奇岩の最も高い位置には大テング岩が存在します。展望のよい場所で、大勢が休憩できます。

昭和30年頃、古代村の北側約100メートルの畑から槍の先端に付ける尖頭器という石器が発見されました。今から約1万年前の縄文時代草創期後半に作られた石器です。形は細長い木葉形で、長さは12.4センチメートルあります。材質は、風化により灰色となった東北頁岩です。この石器の分布は岩手県から長野県、群馬県、神奈川県など、東北から中部地方の山岳地帯に広がります。縄文人が移動した証拠の一つだとみられています。西日本では唯一の発見事例として注目されています。古くから但馬を代表する考古学資料として「森の石槍」「森の尖頭器」として有名でした。

市内の縄文時代早期前半の遺跡として、別宮家野遺跡・杉ヶ沢遺跡・鉢伏高原遺跡があります。これらの遺跡では、島根県の花仙山産の玉髄や隠岐の島産の黒曜石を使った石器があります。縄文時代は広い範囲に渡って物の移動があり、それを行う人の交流もあったと考えられます。最も遠くから持ち運ばれた石器がこの尖頭器です。

古代村の周囲には石ヶ堂洞窟など古代人が生活した足跡が残っています。付近には石ヶ堂遺跡があり、縄文・弥生・古墳時代などの土器が出土しています。

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