まちの文化財(223)牧野富太郎と氷ノ山

更新日:2023年10月02日

高丸方向からみた氷ノ山山頂

高丸山方向からみた氷ノ山山頂

湿原がある古生沼

湿原がある古生沼

山頂からみた古千本と古生沼

山頂からみた古千本と古生沼

ヒョウノセンカタバミ

ヒョウノセンカタバミ

令和5年放送のNHK連続テレビ小説「らんまん」は、槙野万太郎が主人公です。そのモデルは「日本の植物学の父」といわれる牧野富太郎博士です。牧野博士は、兵庫県博物学会が実施した氷ノ山の植物採集会の講師として、昭和12年8月7日から12日にかけて但馬を訪れました。兵庫県博物学会の阿部良平会長、山鳥吉五郎、川崎正が同行しました。

8月7日には八鹿駅から南但自動車に乗って熊次小学校を訪れ、西村村長をはじめ、教師や学生など70人の歓迎を受けました。8日、朝6時に氷ノ山を目指して大久保の宿舎を出発、9時30分に地蔵堂、県境の峠で11時30分に昼食をとりました。牧野は登山道で変わったカタバミを見て、即座に「ヒョウノセンカタバミ」と命名しました。標本を採集して、午後2時30分に氷ノ山に到着しました。

記録には「山頂から南に200メートルくだると、古千本と称する場所に原生沼がある。アカモノ、ヤチスゲ、トキソウ多く、キソチドリ、バイケイソウ、ヤマドリゼンマイ、幾百年の老杉がある。天然の一大庭園を形成し、生物学的、地理的に往古の謎を秘めて学問的興味は津々たる」と報告されています。博士はいつもの蝶ネクタイに背広姿で植物を採集し、ここを「こせ沼」と命名したと伝わっています。

9日には鉢伏高原を訪れ、11日には妙見山と名草神社を訪れて日畑に宿泊、12日は八鹿駅から帰路につきました。

牧野博士は「氷の山から谷底見れバ、お萬居らない田がつづく 牧野詰網」の文字の色紙を残しています。古歌に「高い山から谷底見れば、おまん可愛や布さらす」というものがあります。その一部を氷ノ山に置き換えたものです。氷ノ山から谷底のような場所に田んぼが見えたという感想を表現しています。

色紙には他に、「昭和十二年八月八日 但馬氷ノ山」に続いて「伽羅木に風の冷たし秋立つる 北斗(山鳥吉五郎)」、「連れは後から籠で来る 骸骨(阿部良平)」、「観る為す考へる 大浦茂樹」の文字が書かれています。兵庫県博物学会の記録に残る一日です。

また牧野は「霊気(れいき)鍾処(しょうしょ)氷山聳(ひょうのやまそびえる)」(霊気あつまるところ氷の山そびえる)の書を残しています。植物を通じた牧野の足跡が氷ノ山にも刻まれています。地元では、牧野博士は氷ノ山を3回訪れたと伝わっています。40万点ともいわれる牧野富太郎の標本の中には、氷ノ山の標本も保存されていることでしょう。

引用文献:『兵庫県花の歴史探訪』橋本光政著

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