まちの文化財(218)関神社の楠正成像

更新日:2023年05月18日

話を聞く楠正行像

話を聞く楠正行像

別れを告げる楠正成像

別れを告げる楠正成像

頭を下げる楠正行像

頭を下げる楠正行像

見つめる楠正成像

見つめる楠正成像

昭和16年4月、戦時体制に向かう中で尋常高等小学校は国民学校へ改称しました。当時、関宮国民学校の講堂には、コンクリート製で表面を緑色に着色した2体の人物像が置かれていました。現在、この2体の像は関神社本殿に安置されています。

昭和16年9月国家総動員法に基づく金属回収令が発令され、国民学校にあった二宮金次郎の銅像は戦争のために供出されました。そこで東京美術学校セメント美術教室の関係者がセメントを使った銅像の代替品を製作しました。コンクリートを型に流して表面を緑色に着色したものです。

関神社のコンクリート像はこうした時代背景の中で制作された銅像の代替品とみられます。鎧を装着した楠正成(まさしげ)があぐらを組んで座り、右手には袋に入った短刀を持っています。背中の鎧の下の衣には菊水の家紋が見えます。もう一体の像は正座をして両手をついて頭を下げる11歳の楠正行(まさつら)です。2体の顔の表情は現代アートとしても大変写実的です。

楠正成が湊川の合戦におもむく時、わが子に「自分が討ち死にした後、忠義をつくし、生き残って朝敵を滅ぼせ」と言って、後醍醐天皇から授かった短刀をわが子に渡しました。

この像は、楠公父子の決別(桜井の別れ、大阪府島本町桜井)を表現したものです。当時の国語や修身の教科書などで教えられた物語であり、国民的な物語となっていました。当時、父や兄が戦死した家庭の児童たちも多くいました。そうした児童たちを鼓舞し激励しました。端正な顔立ちをもつ美しい像で、全国的にも希少なコンクリート像です。忠君と称えられて楠正成のお墓は、神戸市の湊川神社の境内にあります。

日本は昭和20年8月15日に終戦を迎えました。楠木正成の像は、関宮国民学校の講堂から関神社本殿に居場所を移して、本殿を守る人物像として受け継がれています。

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