まちの文化財(217)高山社と大屋の養蚕

更新日:2023年05月18日

群馬県藤岡市の高山社

群馬県藤岡市の高山社

高山社の内部

高山社の内部

大屋にある高山社社員証

大屋にある高山社社員証

上垣守国養蚕記念館

上垣守国養蚕記念館

上垣守国は、安永7年(1778)26歳の時から、現在の福島県伊達市梁川町伏黒の佐藤与惣左衛門(よそざえもん)を訪問して蚕種(蚕の卵)を仕入れました。その道中で、群馬県、長野県、滋賀県などの養蚕方法を学び、『養蚕秘録』としてまとめました。

明治17年、群馬県藤岡市に高山長五郎(ちょうごろう)が高山社という養蚕学校を自宅に開きました。後に発展し、養蚕の指導員を全国に派遣しています。上垣守国養蚕記念館に「兵庫県養父郡西谷村、上垣倉之助。養蚕改良高山社々員之證。明治四五年四月一四日」と書いた会員証が保存されています。

明治26年から明治41年にかけて、養父市には高山社から延べ58人の授業員、受業員補が派遣されています。明治30年筏に宮下作次郎、夏梅に入野文衛、明治40年糸原に吉田宇太郎、須西に岡崎平馬、宮本に片貝兵三郎、門野に高橋登美治、明治40年大杉に沢田和三郎などです。高山社で3年間の課程(本科・別科)を学び、優秀なものが授業員となって養蚕指導のために全国に派遣されました。

そして養父市からは明治29年上小田の兼平鹿蔵が本科第1期生として入学し、明治36年夏梅の鎌田誠、明治39年能座の寺川久太郎が別科生として高山社で養蚕を学んでいます。

養蚕で農民の生活を豊かにするという上垣守国の意志は全国各地の養蚕家たちに受け継がれました。高山長五郎は養蚕技術を確立して高山社を作り、全国の基準となりました。そして高山社の養蚕技術は兵庫県立蚕業学校にも受け継がれました。

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