青谿書院

更新日:2020年02月26日

青谿書院

青谿書院

 

 

幕末から明治の初めにかけて但馬聖人・池田草庵先生が開いた漢学塾が青谿書院です。

青谿書院は池田草庵先生の自宅兼塾舎で、建物は茅葺2階建の主屋に瓦葺の平屋が付属しています。1階には8畳が2部屋、6畳が4部屋あります。

草庵先生は陽明学を学ぶ学者であり「慎独」という教えを説き、門人たちと寝食をともにして、弟子の教育に没頭しました。 教えを慕って入門した門人の数は、明治11年に亡くなるまで、全国30ヵ所から673人にのぼり、日本の近代化を担った多くの人材を教育しました。

日本金融界の基礎を築いた原六郎や日本近代眼科の父・河本重次郎、東大総長を2度つとめた浜尾新、琵琶湖疏水を開いた北垣国道などが知られています。

青谿書院資料館には、草庵先生の遺品、著書をはじめ、関係資料を約1300点展示しています。事前申し込みで見学や解説を聞くことができます。

 

但馬聖人・池田草庵

池田草庵

池田草庵

文化10年(1813)に養父市八鹿町宿南の農家に生まれた池田草庵先生は、10歳で母を亡くし、そして12歳で父を亡くしました。広谷村の満福寺に入山して修行に励みました。

その後、18歳で儒学を学ぶ決心を固めて寺を出て、京都の相馬九方が開いた相馬塾に入門しました。そして1年足らずで塾頭になりました。草庵先生は、31歳にして帰郷し、八鹿に立誠舎を開き、35歳で宿南に移って青谿書院を開塾しました。

66歳で亡くなるまで、多くの門人を教育しました。

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