まちの文化財(127) 二宮金次郎の像

更新日:2019年11月14日

広谷小学校の二宮金次郎像

広谷小学校の二宮金次郎像

旧三谷小学校の二宮金次郎像

旧三谷小学校の二宮金次郎像

 

二宮金次郎は江戸時代後期にあたる天明7年(1787)、現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)の農家に生まれ、農村の復興に生涯を捧げました。のちに二宮尊徳と名乗ります。14歳で父、16歳で母を亡くしました。36歳の時小田原藩主大久保忠真(ただざね)に登用され、栃木県桜町の復興を始めました。56歳で江戸幕府に登用され、安政3年(1856)70歳で亡くなりました。

昭和の前半、全国各地の小学校に二宮金次郎の銅像が建てられました。広谷小学校にも銅像があります。最初は昭和7年に建てられ、昭和32年小谷杢之助氏の寄付で再建されました。

明治44年尋常小学校唱歌に、二宮金次郎が登場します。「柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」というものです。勤勉で親孝行で勉強熱心な、貧しい農村の子どもたちの模範となりました。

旧三谷小学校の校庭には、昭和12年に銅像で建立されたようです。台座に「二宮尊徳先生幼時之像、子爵斎藤實書」の文字板があります。戦後、備前焼の窯元、木村興楽園による陶器製で再建されました。

二宮金次郎の像は薪を背負い、左手に「大学」という本を持ち、働きながら学ぶ姿勢を示しています。本には「一家仁、一国興仁。一家譲、一国興譲。一人貧戻、一国作乱。其機如此」の文字があります。

二宮尊徳の言葉には、小さなことを積み重ねる「積小為大」、収入に応じた生活を重視する「分度」の教えがあります。勤労によって得た富を節約生活で蓄え、「報徳仕法」によって次々と農村を復興しました。

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