まちの文化財(110) 円光寺の襖絵

更新日:2019年11月14日

口を開けて吠える虎の絵

口を開けて吠える虎の絵

上を向いてにらむ虎の絵

上を向いてにらむ虎の絵

 

小林礫川(こばやしれきせん)は高柳に住んで、日本画(大和絵)を描き続けた画家です。天保4年(1833)、現在の東京都文京区小石川町で生まれました。住吉派の板谷桂舟から大和絵の画法を学んだと言われています。本名は小林謹之助、画号は礫川、延安、酔人、瓢中逸士などを使いました。出身地にある礫川という地名を画号としたと考えています。

吉井の円光寺の客室に、小林礫川の襖絵があります。襖4枚を1組として2組、合計8枚の襖絵です。ここに2匹の虎が描かれています。 襖絵は、上をにらんだ虎が、大きな口を開けて吠えているものです。飛び跳ねて着地し、前足の大きな爪で地面を押さえています。もう1匹は、松の根元に身を潜め、上をにらんでいます。8枚の襖で作られた「虎の間」となっています。 描き方は大変写実的で、茶色の絵の具と墨を使って虎を描きます。首の下の白い産毛は、和紙の白色を塗り残して表現します。署名は「為能見君、礫川漁人」と書いてあります。

小林礫川は、明治元年(1868)、36歳で高柳に移ってきました。高柳の進智共開(しんちきょうかい)という青年のための勉強会では、村の若者に漢文を教えました。そして明治37年、高柳で72歳の生涯を閉じました。 明治15年、東京で開かれた第1回内国絵画共進会という展覧会に「義経鵯越図(よしつねひよどりごえず)」「鯉魚」を出品しています。

円光寺の襖絵は、小林礫川が虎の絵を得意とした日本画の画家であることを証明する立派な襖絵です。 酒を好んで酔人の号も使いました。瓢箪形の落款(らっかん)には、酒に酔ってよい気持の礫川という意味で、「酔礫」と彫ったものもあります。小林礫川は、養父市内に多くの絵画を残した但馬を代表する画家の一人です。

 

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