まちの文化財(106) 高柳小学校の創立

更新日:2019年11月15日

小学校の玄関にある協和の額

小学校の玄関にある協和の額

小学校の前庭にある協和の石碑

小学校の前庭にある協和の石碑

 

高柳小学校は、明治42年10月9日に創立しました。兵庫県知事を迎えて盛大に開校式を行いました。今から140年前のことです。その証拠が小学校の玄関に飾られています。 それは縦48センチメートル、横99センチメートルの絹の布に、「協和」と墨で書いた額です。小学生にも分かり易い太い漢字です。年号はありませんが、「正三位服部一三書」の署名があります。

服部一三氏は長州藩の武士の出身で、当時は兵庫県知事でした。明治2年に長崎で英語を勉強し、その後、アメリカの大学を卒業しました。東京大学法学部綜理、広島県知事、長崎県知事を務めた後、明治33年から大正5年まで16年間も兵庫県知事を務めました。明治36年には同時に、貴族院議員に就任しました。

明治41年、高柳村には米里小学校と八木小学校がありました。義務教育が4年から6年になったのを契機に、高柳村では小学校統合を計画しました。 新校舎は、高柳の野原(消防署付近)に決定しました。しかし八木小学校から遠いということで、反対意見が続出しました。このため、養父郡長神原清太郎氏の勧めで、現在の場所に小学校が決定しました。

開校式には県知事・郡長など150人が出席し、午後には餅まきや展覧会があって1,100人が新しい小学校の見学に訪れました。小学校の名称は、服部県知事によって高柳村立協和尋常小学校と決まりました。その後昭和16年、高柳国民学校、昭和22年に高柳小学校となりました。

小学校の前庭には、創立五十周年を記念した「協和」「兵庫県知事阪本勝」と書いた石碑もあります。二人の兵庫県知事が示した「協和」の文字は、高柳小学校創立の原点となっています。

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