まちの文化財(57) 氷ノ山登山口多田ケルン

更新日:2019年11月15日

氷ノ山登山道を望む多田ケルン

            氷ノ山登山道を望む多田ケルン

氷ノ山登山口と書いた多田ケルン

         氷ノ山登山口と書いた多田ケルン

 

標高1510メートルの氷ノ山は中国地方では大山に次ぐ高い山で、日本二百名山や兵庫五十山に数えられています。

福定の親水公園付近に「国定公園氷ノ山登山口」と書いた石碑が昭和61年に建てられました。登山家の多田繁次氏さんを顕彰する高さ170センチメートルの多田ケルンです。

多田さんは明治39年丹波市に生まれました。兵庫の山やまをこよなく愛した登山家です。氷ノ山を「兵庫の父なる山」、高丸山から鉢伏山の尾根を「兵庫の母なる山」と呼びました。そして鉢伏山から眺める景色を「正面に構える氷ノ山の雄大な山容、東の妙見山から蘇武岳へかけての懐かしい山稜、西の鳥取県境の未知の山波。いずれも胸の血を湧かすものばかりである」と賛美しています。

多田さんには三つの大きな出来事があります。第1は昭和5年2月10日、高丸山の雪崩で5人が遭難し、1人が死亡しました。その雪崩に多田さんも巻き込まれました。

第2は昭和7年3月20日、氷ノ山越えの峠で登山仲間の加藤文太郎さんに出会い、スキー修理に協力しました。加藤さんは新田次郎の小説『孤高の人』のモデルとなった伝説の登山家です。新温泉町出身で、昭和初期、冬山の単独行で多くの日本記録を作りました。昭和2年から10年まで冬の氷ノ山や妙見山に各6回も登山しています。

第3は氷ノ山山系を通る林道建設やブナ林の大規模伐採に警鐘を鳴らしました。多田さんは氷ノ山の自然を守る会会長として自然保護を訴えました。

但馬の山々を愛した多田繁次、加藤文太郎という登山家がいました。多田ケルンは、氷ノ山へ向かう登山者を今日も静かに見守り続けています。ぜひ名前を知ってほしい登山家です。

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