まちの文化財(54) 伊佐の新田開発

更新日:2019年11月15日

伊佐ふれあい倶楽部と新田の用水路

        伊佐ふれあい倶楽部と新田の用水路

伊佐の船山(切り通しのところが間歩)

   伊佐の船山(切り通しのところが間歩)

 

伊佐ふれあい倶楽部は、高齢者の地域活動交流施設として平成11年に完成しました。現在は伊佐地区自治協議会の事務所になっています。 

この施設の特徴は、元禄13年(1700)に建築されたといわれる市内最古の古民家を再生し、交流の場として活用していることです。屋根は茅葺の上に鉄板を貼った平屋建ての民家です。規模は正面が6間半(17.9メートル)、側面が4間(10.0メートル)もあり、内部は八畳の部屋が四間ある大きな住宅です。

現在ふれあい倶楽部の前を幅220センチメートル、深さ150センチメートルの小さな川が流れています。これが伊佐新田開発によって作られた用水路です。そしてふれあい倶楽部の場所には、江戸時代に新田開発の事務所である会所が置かれました。

伊佐新田開発は、出石藩の許可をうけて町人たちが資本を導入した水田開発として歴史的な意義があります。新田開発は寛文9年(1669)から始まりましたが、円山川に作った伊佐の堰が何度も流されて失敗しました。結局、八鹿駅の裏側に堰を作り、伊佐まで約3キロメートルにわたって用水路を引きました。

伊佐の新田開発には、江戸時代の最新技術が使われました。第1は円山川という大きな川に堰を築いたこと、第2は用水路を引くために大江川という天井川の川底に箱樋を埋めて用水をくぐらせたこと、第3は伊佐の舟山に108メートルのトンネルである間歩(まぶ)を掘って用水路を貫通させたことです。

こうして伊佐小学校の前に広がる水田22ヘクタールが開墾できました。費用は、銀62貫872匁と記録されています。小判に換算すると約1250両、賃金に換算すると約57,200人の手間賃になりました。

延宝4年(1676)3月3日、出石藩主小出英安(ふさやす)公が、新田開発の視察に来られました。その時に作られた出石藩主のための休憩所が、現在も伊佐にある県指定文化財の甘棠亭(かんとうてい)という建物です。

300年以上も昔に創意工夫をこらして作られた水田開発のための用水路が現在も伊佐の水田を潤しています。浅間村と宿南村の土地の一部を分割して、新しく伊佐村としました。身近なところに歴史があります。

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