まちの文化財(48) 3階建養蚕農家を探る

更新日:2019年11月15日

大正初期、中引き梁工法

                    大正初期、中引き梁工法

明治22年、垂木のないトラス工法

             明治22年、垂木のないトラス工法

 

3階建養蚕農家という言葉には、3階建農家と養蚕農家という二つの意味があります。全国的な知名度が低いことから、日本建築学会の学術用語として、早く定着することを期待しています。

平成18年度から養父市教育委員会と近畿大学建築学科、兵庫県教育委員会の3者が共同して調査を実施しています。今年は8月18日から23日まで、近畿大学14名と社会教育課職員7名が3班に分かれて、関宮・大屋を中心に31戸を訪問して調査をしました。

瓦葺の3階建養蚕農家には、2階建屋根裏・3階建・3階建屋根裏の3つのタイプがあります。市内では2階の屋根裏をタカと呼びます。2階の天井が屋根裏の床板を兼ねており、タカは実質的な3階として利用されています。

平成18年度調査では2階建屋根裏が202棟、3階建と3階建屋根裏が485棟ありました。

今年の調査では、二つの大きな成果がありました。第1は、明治22年に建築されたた3階建農家を大谷で発見したことです。棟札には藤田松治・中島米太郎・中島万吉の3名の大工の名前がありました。現在判明している最初に3階建農家を作った大工さんです。119年前の明治22年に瓦葺の3階建農家が完成していました。

第2は、3階建の屋根を支える構造で3つの基本形を発見しました。中引き梁・登り梁方式(栗ノ下・筏・鵜縄・轟・別宮)、水平の小屋梁方式(大杉・奈良辺・横行)、トラス方式(大谷)です。外観は同じであっても、蚕室を確保するための屋根裏の組み方は多様で、様々な工夫がこらされています。

また3階の天井を根太天井として作った建物で、3階の屋根裏を養蚕に利用する4層構造の3階建があります。養父地域畑・大屋地域大杉・横行などで確認しました。3階建の養蚕農家住宅は、4層構造を最大規模とします。

全国的に戦前までの農家は平屋建が主流でした。3階建農家が見られる地域は全国でも但馬だけです。3階建農家の家並みは、養父市が全国に誇りうる大きな財産であることが分かってきました。

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