まちの文化財(24) 建屋ウスギ城

更新日:2019年11月18日

ウスギ城と殿屋敷と場市遺跡

           ウスギ城と殿屋敷と場市遺跡

ウスギ城の土塁

                        ウスギ城の土塁

 

ウスギ城は、建屋集落の対岸にある尾根の先端部に作られた山城で、標高256メートルの位置にあります。範囲は東西250メートル、南北300メートルに広がる大規模なものです。

江戸時代の城郭で本丸と呼ぶ城の中心機能をもつ曲輪(くるわ)を、それ以前に作られた中世城郭では主郭とよびます。ウスギ城の主郭は長さ22メートル、幅19メートルもあります。この主郭から3方向に、全体で30以上の曲輪を連続して築いています。これを放射状連郭式の縄張りといいます。

平成15年10月、建屋バイパス工事に伴う発掘調査によって兵庫県でも初めての庭園がウスギ城のふもとにある場市(ばいち)遺跡で出土しました。庭園は南北方向に30メートルもありました。石を敷き詰めた洲浜(すはま)や滝石(たきいし)組み、礎石(そせき)建物が出土しました。14世紀から15世紀に利用された武士の館と庭園の一部でした。

ウスギ城の特徴は、第一に市内でもトップクラスの大規模城郭であること、第二に土塁(どるい)・堀切(ほりきり)・竪堀(たてぼり)などのすぐれた防御施設を造っていること、第三に場市遺跡だけでなく、一段上の畑には殿屋敷・ビクニ・馬場などの地名が示すような生活空間が広がっていることです。このような城郭は大変貴重です。

ウスギ城の城主は、祐徳(ゆうとく)寺に伝わる古文書に名前がある太田恒久朝・朝説・朝頼という武将と考えられます。大田垣氏は、14世紀から天正8年(1580)までウスギ城を居城としました。この太田垣氏の一族が朝来市に進出して竹田城を築き、但馬守譜代になりました。 建屋に、なぜこれぱど立派な山城があるのでしようか。餅耕地城や三谷城などの山城がありますが、小規模なものです。ウスギ城は建屋地域の盟主の城郭であるだけでなく、竹田城主の太田垣氏が本拠他の城郭として整備を支援したからだと考えています。

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