まちの文化財(4) 朝倉氏と朝倉城

更新日:2019年11月18日

朝倉城跡(中央の山頂部分)

       朝倉城跡(中央の山頂部分)

山城で説明を聞く

                   山城で説明を聞く

 

養父市教育研究所の市内視察研修が、平成16年8月19日にありました。17人の参加者が朝倉区長の才木茂さんの案内で朝倉城を見学しました。

城の登り口には「越前の大名朝倉氏発祥の地」という解説板が建てられています。朝倉の集落は、越前一国を治めた戦国大名、越前朝倉氏の出身地です。朝倉氏は平安時代末期に、日下部一族の中から朝倉という地名を苗字として生まれた武将です。朝倉史跡保存会では朝倉区のまちづくりのシンボルとして、朝倉城やびくに城の草刈りや顕彰に努めています。

越前の朝倉氏は延元元年(1336)に初代の朝倉広景が、但馬から越前に入って始まりました。6代孝景は越前の守護となって、一乗谷の城下町を整備して栄えました。しかし天正元年(1573)に織田信長の軍勢に攻められ、11代の義景で滅びました。現在の一乗谷の城下町は、武家屋敷なども復元されて福井市の歴史公園となっています。

朝倉城は、集落から西方向に尾根を約300メートルほど登った標高152メートルの丘にある山城です。規模は南北180メートル、東西95メートルあります。城の南端は三本の堀切(ほりきき)で区画しています。そして城の平坦地である曲輪(くるわ)が8段、北方向に続いています。

そして最も先端部に南北36メートル、東西42メートルの広い曲輪が作られています。物見櫓(やぐら)を建てたと思われる櫓台が中心にあり、曲輪の端には低い土塁(どるい)が残っています。

朝倉区長の才木茂さんは、「朝倉城は大きな城ではありませんが、形が整っている城で、堀切や土塁などがきっちりと残っています。八鹿がよく見える景色のよいところのあります。福井市からも見学に来られます」と解説しました。

武将としての朝倉氏は、八鹿町朝倉に屋敷を構えて、鎌倉幕府を開いた源頼朝につかえた、朝倉高清を始祖としています。朝倉氏の一族は江戸時代には旗本になって、明治維新まで続きました。朝倉城は、武将の時代を静かに語り継いでいます。

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