まちの文化財(165) 桂小五郎と西念寺

更新日:2019年11月15日

桂小五郎を顕彰する石碑

桂小五郎を顕彰する石碑

西念寺の本堂と鐘楼

西念寺の本堂と鐘楼 

 

養父市場の西念寺に、明治維新で活躍した桂小五郎、後の木戸孝允の顕彰碑があります。

石碑には「維新史蹟、木戸孝允(きどたかよし)公潜伏遺跡、当時桂小五郎」に続いて「元治元年(1864)蛤門の変、出石に落入り潜伏、時々幕吏の来りて公を物色するあり、万一を憂いて此の寺に来り、寺男となりて人目を避けたる遺跡」と記しています。

石碑は昭和8年に出石郡教育会が建設したものです。同年7月4日に記念式典があり、小学生が見守る中で、西念寺住職の清水憲章氏、県会議員の児島大吉氏、木戸孝允次男の木戸忠太郎氏が挨拶しました。

木戸孝允は長州藩士であり、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通と並ぶ明治維新の三傑と呼ばれています。明治政府の参議を勤め、廃藩置県や版籍奉還を推進しました。

幕府による第一次長州征伐の時期、桂小五郎は京都から幕府の探索を逃れるため、出石出身の広戸甚助の支援をうけて出石城下に潜伏しました。元治元年7月、新撰組が出石まで探索に来たことから西念寺に隠れたと言われています。その後、出石城下で荒物商を営む広戸孝助として暮らし、翌年4月26日、長州藩に無事に帰国しました。

この時、桂小五郎が暗殺されていれば、おそらく明治維新は変わっていたのではないか。桂小五郎の窮地を救った但馬の遺跡として西念寺が顕彰され、現在まで語り継がれています。出石郡教育会は石碑を建設し、木戸孝允の顕彰活動を進めています。

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