まちの文化財(164) 果樹栽培の田村亮一

更新日:2019年11月15日

果樹園開発を謝する石碑

             果樹園開発を謝する石碑

正面から見た記念碑

                     正面から見た記念碑

 

和多田集落を通る国道9号のすぐ上に、昭和4年4月に建立された高さ約2メートルの記念碑があります。これは、但馬でも初めて果樹栽培に挑戦した田村亮一氏に感謝する石碑です。石碑の表面に「記念碑、為田村亮一氏」、裏面に「明治四十一年以来、挙村一致、果樹園を経営し、利得る所あり。惟うに田村亮一氏は、西垣弥太郎氏及び西垣達蔵氏等と相はかり力を尽くせる」の説明があります。

昭和4年、和多田にある10アールの果樹園が兵庫県立農事試験場の梨栽培の委託試験場になりました。但馬地域では初めての快挙であり、村の発展に尽力した開発功労者に感謝するために石碑を建立しました。

樹木が茂る山林を開墾して果樹園を作り、なし・もも・りんご・かき等を栽培しました。失敗を重ね、結果的に、なしの栽培が定着しました。廿世紀・長十郎・ドイツ・早生赤・太平洋・菊水・市原・石見早生などのなし栽培を試み、最後に廿世紀と八雲が残ったと記録にあります。

田村氏たちは、夜中に和多田を出て何回も鳥取に日帰りで梨栽培を習いに行きました。なしは実がなるまで10年もの年月がかかり、技術と資金が必要でした。

昭和初期には養父市の各地になし栽培が広がりました。急な山の斜面を開墾した梨畑は、和多田20ヘクタール、三宅・大谷・尾崎・吉井・中瀬は2ヘクタールから4ヘクタールほどでした。

和多田の田村亮一氏は但馬における果樹栽培の先駆者の一人です。農家の生活を豊かにするため個人の努力と才覚によって農業の近代化に挑戦しました。

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