参道から望む宗恩寺
宗恩寺の本堂
池田草庵の扁額「憂勤てきれい 緝書」)所蔵、宗恩寺)
宿南の宗恩寺は、慶長元年(1596)、芳岩安宗和尚の開基によって創建された曹洞宗の寺院です。安宗和尚は新温泉町諸寄の龍満寺も開いておられます。寛延元年(1748)に現在の本堂が建築され、享保6年(1721)には境内に地蔵堂が移築されました。
明治5年(1872)、青谿書院に筒川方外(つつかわほうがい)和尚が入門しました。住所は「伯耆国久米郡倉吉 宿僧吉祥院(倉吉市西岩倉)」となっています。吉祥院に籍を置いて宗恩寺に宿泊して修行しながら池田草庵に学びました。他にも明治10年、日置黙仙(丹波国円通寺住職、門人帳では倉吉市八屋の極楽寺)、翁褌(門人帳では倉吉市和田の定光寺)など曹洞宗の僧侶が入門しています。
筒川方外(弘化4年から明治37年)は彦根藩に生まれ、彦根藩主井伊直弼(いいなおすけ)侯の禅の師である仏洲仙英(ぶっしゅうせんえい)和尚の弟子、逸山仙秀和尚について清凉寺で得度しました。仙英和尚は倉吉市の吉祥院、鳥取市の景福寺の住職を務めた後、彦根藩主井伊家の菩提寺、清凉寺の住職となっています。
明治10年(1877)、31歳の方外和尚は仙英和尚の孫弟子として吉祥院の住職に迎えられました。しかし同年5月、乞われて宗恩寺の住職に転住し、明治22年には曹洞宗大学林(駒沢大学の前身)の教頭を務めました。そして明治33年に静岡県の修善寺に転住しました。
方外和尚は豪剛な気性で地元から絶大な信頼を集め、宗恩寺には弟子や雲水などの修行僧が集まりました。
宗恩寺には草庵が書いた憂勤□□(ゆうきんてきれい)の扁額があります。一日一日のなすべきことを自分は本当になしとげているのか、という反省の心を示しています。
(「憂勤□□」の「てきれい」は、りっしんべんに易の「てき」と、がんだれに萬の「れい」)
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