青豁書院の雄姿

青豁書院の雄姿<昭和6年制作、20歳>

(所蔵、養父市)

往時の青豁書院

往時の青豁書院『山窓功課上巻』扉絵

(昭和54年発行)

初冬の三重塔

初冬の三重塔<昭和27年制作、41歳>

(所蔵、八鹿高等学校)

晩秋の三重塔

晩秋の三重塔<昭和28年制作、42歳>

(所蔵、名草神社)

池田朋章(いけだほうしょう)先生(明治44年から平成11年)は八鹿町宿南出身の洋画家で、本名は池田梅郎(うめお)です。東京の川端画学校を終了後、藤島武二(ふじしまたけじ)氏に素描修業、和田英作氏(東京美術学校校長)に洋画を学びました。昭和17年戦争に出征し、昭和20年に復員して八鹿高等学校の絵の講師を務め、後に上京しました。平成11年の第35回八鹿町民文化祭で「特別展 池田朋章里帰り展」が開催されています。

池田朋章の油絵が青谿書院記念館にあります。高い石垣の上に青谿書院と祠堂があり、庭には樫・松・樅が描かれています。畑の桑の木には葉がありません。道路には桜が咲いていることから4月初旬の風景です。油絵には「朝昭2591」と署名されています。

青谿書院の祠堂(松風洞)は大正4年の建築、付近の石垣は昭和3年の建設です。絵の風景が昭和3年の池田草庵五十年祭(没後)の写真に近いことから、数字は皇紀2591年の昭和6年、20歳の時の制作と考えています。

昭和時代後半には八鹿駅の改札口の上に「妙見山 国宝 三重の塔」と題した油絵がありました。これは昭和26年8月9日、駅長の依頼をうけて描いた「夏の三重塔」です。

その後、昭和27年12月18日に描いた「初冬の三重塔」が八鹿高等学校にあります。三重塔に西日が入り、地面には雪があります。署名は池田朋章を表す「H.IKEDA」です。他にも昭和28年11月3日に描いた「晩秋の三重塔」が名草神社にあります。

兄の池田紫星(いけだしせい 本名・池田粂郎いけだくめお)氏(明治29年から昭和31年)は、日本海新聞の主筆や編集長を務め、鳥取県を代表する言論人として活躍し、昭和20年に帰郷しました。昭和28年9月には著書『池田草庵』を発刊しています。

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