コウノトリが帰ってきました!
国の特別天然記念物であるコウノトリが、再び養父市に帰ってきました!
コウノトリ受入式
とき:平成24年10月19日(金曜日)
ところ:伊佐コウノトリ放鳥拠点施設(八鹿町伊佐地内)
内容:養父市では、兵庫県の「コウノトリ野生復帰グランドデザイン」に基づき、コウノトリのペアを受け入れました。
昭和30年代前半を境に、養父市からコウノトリがいなくなって約60年あまりが経ちましたが、この日から、この場所でのコウノトリの飼育・繁殖・放鳥の取り組みが始まります。
養父市におけるコウノトリの歴史
コウノトリは、松の木に巣をつくり、姿がタンチョウ(鶴)に似ているため、昔から「松上の鶴」として日本画や掛け軸などに縁起物として描かれたりしています。
でも、鶴の足は構造上、木の上に止まることが一部の種類を除いて出来ないため、昔の人は姿が良く似ている鶴とコウノトリとを混同して描かれたのだとされています。
現在では、国の特別天然記念物に指定されているコウノトリですが、昭和27年には、八鹿町浅間にあったコウノトリの営巣地が、特別天然記念物の指定地になった歴史もあります。
そんなコウノトリについて、養父市内にしかない歴史の一部をご紹介します。
【コウノトリの句碑】 場所:養父市大薮(泉光寺境内) 江戸時代後期(西暦1846年)に、大島貞利(大薮小出家の家老)が、病気で死んだコウノトリを弔った石碑があります。 石碑には、コウノトリの姿が浮き彫りにされ、次のような俳句が刻まれています。 「 相奈禮て 三日千寿の 別か那 」 あいなれて みっかちとせの わかれかな (注)怪我をしたコウノトリを三日間看病したが、死んでしまったと言う意味です。 当時の人の優しさが伝わってきます。 養父市ホームページ「まちの文化財」を参照 |
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【村限通用賃銭預切手札】 養父市養父市場には、名牛「但馬牛」の市場があり、江戸時代後期には、 この札が使用されていました。 この札には、松の木の上にコウノトリが描かれています。 写真の上側が、「銀壹匁」、下側が「銀五分」になります。 (豊田豊著「但馬の古札」を参照) |
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【コウノトリの写真】 昭和31年頃に、八鹿町浅間地区で撮影された貴重な一枚です。 |
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【コウノトリに関する記事】 天然記念物 コウノトリを愛の心で! 春の訪れと共に、日本で二ヶ所しかない中の一ヶ所として、天然記念物 指定地で有名な八鹿町浅間字柿谷にコウノトリが、久しぶりに懐かしい古 里に帰り言い知れぬ親しみを体一杯にみなぎらせ、つきない生への喜び を楽しみながら夫婦仲もむつまじく、じる田の稲かぶを踏みしめつつ力強 く餌をついばむ姿を見受けるようになりました。 『天然記念物』指定の趣旨にそうて暖い心で迎え、そして彼等がやがて 子孫の繁栄の営みに、心からの力ぞえをしてやりたいものです。 昭和31年4月1日八鹿広報第12号を抜粋 |
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・コウノトリにまつわる歴史やエピソード など
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更新日:2024年02月09日