鉱石の道~南但馬の4鉱山~

更新日:2024年02月02日

1.はじめに~鉱石の道とは~

「鉱石の道」とは、生野鉱山・神子畑鉱山・明延鉱山・中瀬鉱山に関わる産業遺産群エリアのことです。このエリアは兵庫県北部の但馬地域にあって、日本の歴史に深く関わりながら発展しました。「鉱石の道」は全国有数の鉱山エリアとして、明治・大正・昭和時代における日本の近代化を支え、鉱山によって様々な伝統文化や地域固有の歴史が育まれてきました。
「鉱石の道」エリアでは、江戸時代から昭和時代まで日本最大規模の金属鉱山として金・銀・銅・錫・アンチモンなどの金属鉱石を採掘してきました。今も残る鉱山遺産とともに鉱山町の景観、歴史、生活、文化などの様々な地域の姿を通じて、日本の鉱山史を丸ごと体感することができます。

昭和中頃の明延鉱山大仙本部

昭和中頃の明延鉱山大仙本部

昭和前半の中瀬鉱山

昭和前半の中瀬鉱山

2.生野・神子畑・明延・中瀬の4鉱山

明治元年(1868)、日本初の官営鉱山となった生野鉱山と、それに続いて明治5年(1872)に官営鉱山となった神子畑鉱山、明延鉱山、中瀬鉱山は、独立国家の確立と産業の近代化、新政府の財源確保など多くの課題を達成するための国家プロジェクトとして開発されました。生野鉱山にフランス人を中心とした「お雇い外国人」と呼ばれる外国人技師を招聘し、フランス式の鉱山技術により日本の鉱山の産業革命を推進しました。当時の世界のさまざまな最新技術が導入され、日本の模範鉱山となりました。
特に生野鉱山には、機械式精錬技術、本格的な火薬による採鉱方法である発破法の他、鉱業用送水路やダム建設(水力の動力利用・蒸気機関)、トロッコ軌道(鉱山鉄道)の敷設、日本最初の鉱山学校の設立など多くの「日本初」の試みが導入され、近代化日本の鉱山開発の歩みが、ここ但馬の地から始まりました。
明治4年(1871年)になると銀貨と金貨が日本の基本通貨となり、外国貿易専用の一円銀貨も登場します。その原材料となる金・銀・銅の採掘が進められ、大正時代になるとあらたに錫・タングステン・亜鉛・アンチモンなど、現代社会に必要な多数の金属の生産地となりました。
こうして生野・神子畑・明延・中瀬は日本を代表する大規模な鉱山として日本経済を支えてきましたが、採掘可能な鉱物資源の枯渇や金属価格の低迷、国際的な競争などにより、昭和44年(1969年)に中瀬鉱山、昭和48年(1973年)に生野鉱山、昭和62年(1987年)に明延鉱山が閉山となりました。しかし、生野鉱山は錫の精練、中瀬鉱山はアンチモンの製錬工場として現在も操業を続けています。

生野の町並み

生野の町並み

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場跡

明延町並みのの中心地にある坑夫の像

明延町並みの中心にある坑夫の像

現在の中瀬鉱山遠景

現在の中瀬鉱山遠景

3.鉱石の道のあゆみ

但馬地域の経済を支えた中瀬鉱山、生野鉱山、明延鉱山が閉山し、急速に地域が衰退していく状況の中、地域に残る鉱山に関わる様々な遺産に注目し、地域を活性化し地域の振興を図る取組が始まりました。平成16年(2004年)に生野・神子畑・明延という3つの鉱山エリアが「鉱石の道」と命名され、平成19年(2007年)に経済産業省の近代化産業遺産群33に認定されました。さらに平成29年(2017年)には中瀬鉱山が「鉱石の道」に加わり、生野鉱山と飾磨港を結ぶ「銀の馬車道」とともに「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」として日本遺産に認定されました。
兵庫県但馬県民局・朝来市・養父市が中心となった「鉱石の道推進協議会」、多くの市民やボランティアガイド、関係団体などにより「鉱石の道」を活用した取組が進められています。
「鉱石の道」は、日本の近代化の歴史や、今に残る鉱山遺産群をつなぐ道であると同時に、これから当地を訪れる多くの人々が近代化産業遺産や地域の人々、文化と触れ合う「交流の道」や「観光の道」として期待されています。

日本遺産鉱石の道ロゴマーク

4.日本の鉱山史を体感する歴史文化ミュージアム

近代化産業遺産「鉱石の道」エリアは、明延鉱山の銅が東大寺の「奈良の大仏」の鋳造に使用されたと伝えられるなど古くから日本有数の鉱山として栄え、明治以降は日本の近代化を支えた大鉱山地帯となりました。鉱山とその周辺地域には鉱山遺跡や古い町並み、鉱山特有の文化が色濃く残り、日本で唯一、中世から近現代の鉱山の歴史、技術、生活史の変遷をたどることができる「歴史文化ミュージアム」ともいえる地域です。
生野では生野書院や旧生野鉱山職員宿舎(志村喬記念館)などが公開され、神子畑では旧神子畑鉱山事務舎(ムーセ旧居)が整備されています。また、明延では一円電車の客車が動態保存され、中瀬では鉱山町の名残が随所にみられます。「鉱石の道」エリアでは町並みの中にも多くの鉱山遺産が残っています。生野や明延では坑道見学もでき、鉱石が産出された最初の一歩まで体感することができます。ぜひ、現地を訪れて、「鉱石の道」の魅力に触れてみてください。

生野甲社宅

旧生野鉱山職員宿舎

神子畑ムーセ旧居

旧神子畑鉱山事務舎

明延一円電車くろがね号

明延の一円電車体験乗車会

中瀬街歩きの様子

中瀬の町歩き

5.関係資料など

鉱石の道エリアでは、鉱山遺産を活かした町づくりや観光振興を進めています。関係団体のホームページや関係資料を紹介します。

全般

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生野・神子畑エリア(朝来市)

朝来市ホームページ
生野まちづくり工房井筒屋ホームページ
生野NAVI生野町観光協会ホームページ
神子畑選鉱場跡ホームページ

明延・中瀬エリア(養父市)

鉱石の道に関係するパンフレット

鉱石の道 近代化産業遺産エリア パンフレット(PDFファイル:10.8MB)
知ろうさぐろう鉱石の道!  パンフレット(PDFファイル:10.1MB)
公式ガイドブック 日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」 パンフレット(PDFファイル:13.2MB)

この記事に関するお問い合わせ先

歴史文化財課
〒667-1105
養父市関宮613-6
電話番号:079-661-9042
ファックス番号:079-667-2277

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