出雲からやってきた三重塔

更新日:2019年11月21日

出雲大社にあった名草神社三重塔

雪の中の三重塔

雪の中の三重塔

明治37年2月18日に国指定になった重要文化財で、名称は「名草神社三重塔」です。妙見三重塔とも言われています。戦前は国宝と呼ばれており、現在も但馬地方を代表する文化財です。

三重塔の高さは23.9メートルあります。三重塔の最も上の三層目の屋根までは高さ16.8メートルです。屋根は、薄い杉板を重ねて作ったこけら葺という方法です。一層には中央に扉があって、その両側に緑色をした窓(連子窓)があります。三重塔は一辺4.6メートルあります。

この三重塔は島根県出雲大社の境内に、出雲の大名として有名な尼子経久が願主となって大永5年(1525)に起工し、同7年6月15日に竣工したものです(資料によって異説があります)。出雲大社にあった三重塔であり、杵築の塔とも言われ、優雅な姿を誇っていました。

江戸時代に行われた出雲大社の寛文御造営の際に、名草神社の鎮座する妙見山から出雲大社本殿の御用材として御神木と呼ばれた妙見杉の巨木を提供しました。その後出雲大社本殿は建て替えられましたが、現在でも付近の建物にはこの時の妙見杉が使われているようです。

この時のお礼として、出雲大社三重塔を譲りうけました。三重塔は出雲大社で寛文5年(1665)1月に解体を始めました。島根県宇龍港から船に積まれて日本海をわたり、但馬の津居山港に着岸したといいます。そして5月に妙見山まで人々の手によって運ばれ、9月に名草神社境内の現地に完成しました。大工の棟梁は、出雲松江の喜多川太郎兵衛尉と浜田吉之丞、但馬九鹿村の池内与三左衛門尉の3名でした。大奉行は但馬八鹿村の西村新右衛門が務めました。出雲大社には但馬地方の村々からも代参を行い、出雲大社の御師も八鹿に巡ってきました。三重塔は出雲と但馬の交流を伝える貴重な文化遺産です。

昭和59年2月に3メートルをこえる大雪によって、三重塔の二層目と一層目の屋根が落下しました。このため名草神社が事業主となって3年をかけて解体修理を実施しました。そして昭和62年10月に「昭和の大修理」が完成しました。

日本海に面した出雲大社には、松が豊富にあります。このため出雲大社からやってきた三重塔には松やケヤキが多く使われていました。妙見山は妙見杉の有名な産地です。このため妙見山では、妙見杉で材料を補って建築しました。

名草神社は、出雲大社三重塔を300年以上にわたって妙見山でお預かりしています。日本海を望む出雲大社で生まれた三重塔が、中国山地の深山にある妙見山の境内で今も静かに生き続けています。

大雪で破損した三重塔

三重塔大雪破損(昭和59年2月)

三重塔の修復工事

   三重塔解体修理(昭和60年10月)

竣工式で九鹿ざんざか踊りを奉納

三重塔竣工式でざんざか踊りを奉納
(昭和62年10月)

三重塔修復工事

    三重塔解体修理(昭和60年10月)

三重塔を守るサル

見ざる    いわざる    聞かざる    思わざる

          見ざる                          言わざる                        聞かざる                      思わざる

三重塔には、四猿という大変珍しい彫刻があります。その場所は、三重塔の最上部の軒下です。三層目の軒の隅角部の隅尾垂木に座って見下ろしています。

猿は、山の神様の使者だとも言われており、一般には三猿の彫刻が有名です。その中でも日光東照宮にある見ざる、言わざる、聞かざるという三猿の彫刻がとくに有名です。名草神社の場合は、なぜか四猿になっています。それぞれ手を目、口、耳に持って行っています。最後の一匹は、左の頬の近くに手があります。

鎌倉時代の書物には「世の人は見ざる、言わざる、聞かざるというけれども、思わざるをたもてば、三の猿はたやすいことだ」と説かれています。また論語から「動かざる」ではないかという説もありますが、四匹目の猿は、思わざると考えています。

力士の彫刻

力士の彫刻

またこの猿の彫刻に対応するように本殿の向拝彫刻の獅子には、それぞれ前足で口と耳を押さえた彫刻を作っています。残念ながら目を押さえた獅子はありません。獅子の像が、言わざると聞かざるの姿勢をとっています。

三猿は全国に多くありますが、四猿は名草神社だけでしかみられない、大変不思議な猿の彫刻です。四匹目の猿の本当の意味は、なんでしょうか。いずれにしても三猿や四猿に込められている戒めは、人生を安全幸福に過ごすための教えだと言われています。

また猿と同じ位置になりますが、一層目には4体の力士の彫刻があります。力士が大きな三重塔を担いでいるように見えます。

三重塔の国宝指定

参道正面に見える三重塔

参道正面に見える三重塔

広場に建つ三重塔

広場に建つ三重塔

この三重塔は内務省告示第九号、古社寺保存法により明治37年2月18日、国宝建造物に指定されました。名称は、名草神社塔婆(三重塔)です。

指定説明は、「三間三層塔婆、屋根柿葺。尼子経久出雲大社の境内に此の三重塔を建立し、大永五年柱立、四ケ年を経て落成す。後寛文五年三月同社より此の塔を当社ヘ寄進移築す。構造手法より足利時代中期をあらわし、頭貫鼻、間斗束の手法甚珍奇にして蟇股内の彫刻、亦見るに足れり」と説明しています。

文化財保護法(昭和25年法律第214号)によって重要文化財となり、名称は名草神社三重塔となりました。

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