名草神社の本殿と拝殿

更新日:2019年11月21日

名草神社本殿

名草神社本殿と拝殿

名草神社本殿と拝殿

名草神社本殿と拝殿は、平成22年6月29日、「名草神社」(1件)として国指定の重要文化財になりました。名草神社は、「妙見山」「妙見さん」と呼ばれている神社です。江戸時代から昭和30年代まで但馬地方内外から巡礼参詣者が集まる大社として栄えました。養父市だけでなく但馬国を代表する豊作祈願の総社となっています。

境内のなかで最も高い標高800メートルの場所に作られた建造物が本殿です。桁行が9間(17.6メートル)で、梁間が5間(9.0メートル)という大きな建物です。宝暦4年(1754)5月に完成しました。大工棟梁は出石城下の宮本七郎兵衛春重と八鹿村の田中杢右衛門當宗の2名が務めました。また建築資金は妙見社の御師が、但馬国内だけではなく因幡、播磨、美作、丹後、丹波などの山陰地方の各地をまわって寄付を募って集めました。

屋根は、こけら葺で入母屋造(いりもやづくり)です。屋根の正面に千鳥破風(ちどりはふ)とよぶ三角形の小屋根があり、その下に唐破風(からはふ)とよぶ半円形の小屋根があります。このため「千鳥破風軒唐破風付の入母屋造」の屋根とよびます。このような形の屋根の形式は、栃木県日光東照宮や京都市北野天満宮などの大型社殿にみられます。

本殿正面から

                    本殿(正面から)

本殿斜めから

                     本殿(斜めから)

本殿向拝の正面

               本殿向拝の正面

本殿向拝の見上げ

                 本殿向拝の見上げ

また本殿の正面にある参拝のために張り出した部分を向拝(こうはい・ごはい)といいます。この向拝の付近に、多くの彫刻があります。口を手でおさえた獅子には、失言をして思わず口を押さえたような表情があります。耳をおさえた獅子には、頭を横にひねって苦笑いをしているような表情があります。

向かいあった一対の夫婦獅子には、前かがみになって飛びかかる姿と、急に立ち止まって振り返った姿が描かれており、豊かな表情と俊敏な動きが表現されています。龍の彫刻は、向拝1カ所と木鼻2カ所にあります。

多くの豪華な彫刻が作られているだけでなく、全国に認められる妙見社の中でも特異な平面構成を示す大型の神社建築として特筆されます。

本殿向拝柱の獅子鼻       本殿向拝柱の獅子鼻      本殿向拝柱の獅子鼻      本殿向拝柱の獅子鼻

                                    本殿向拝柱の獅子鼻(4本の向拝柱にそれぞれ付く)

外陣入口の龍の木鼻

外陣入口の龍の木鼻

向拝上部の夫婦獅子

向拝上部の夫婦獅子

向拝頭の獏鼻

向拝頭の獏鼻

向拝中央の龍

向拝中央の龍

中国神仙彫刻

本殿向拝蟇股の鶴仙人

本殿向拝蟇股の鶴仙人

本殿外陣蟇股の琴高仙人

本殿外陣蟇股の琴高仙人

本殿向拝の正面にみえる蟇股(かえるまた)には亀仙人、鶴仙人という中国の神仙思想を伝える彫刻があります。名草神社本殿の鶴仙人は、雲の上に羽根を広げて羽ばたく鶴に乗った仙人が、巻物を広げた姿で描かれています。雲の上を飛ぶ鶴の上で巻物を開く仙人の姿は、寛永13年(1636)に作られた日光東照宮陽明門でも見られます。また慶長12年(1607)北野天満宮拝殿でもみられます。

鶴に乗る仙人は王子喬(おおしきょう)、費長房(ひちょうぼう)、控鶴仙人という中国古代の仙人が有名で、乗鶴(じょうかく)仙人とも呼ばれました。また他の部分には、鯉にのって水を登る琴高仙人の彫刻もあります。名草神社本殿には但馬地方では珍しい中国神仙思想を伝える彫刻が作られています。

これらの彫刻は大変繊細で写実的な造形で、細かな表情や動きが見られます。但馬地方ではこれだけの彫刻を作ることができる人物はなく、京都・大阪で活躍した名工ではないかと推定しています。

名草神社拝殿

拝殿を見上げる写真

          拝殿(正面から見上げる)

拝殿全体

                       拝殿全体

拝殿裏側からの写真

                   拝殿裏側から

拝殿北側からの全体

                  拝殿(北西から)

拝殿は、桁行が5間(11.7メートル)、梁間が2間(5.2メートル)の大きな建造物です。屋根の形式は入母屋造です。屋根を葺いている材料は杉板で、杉板を重ねて屋根を葺くこけら葺という方法で作られています。元禄2年(1689)に完成しました。

拝殿中央の幅3.1メートルが土間で通路になっており、本殿に参拝する人が門のように通ることができます。この通路の両側に縁をまわした板の間があります。これは割拝殿という大変珍しい形式の拝殿です。

正面からみると石垣の上に建つ優雅な拝殿です。石垣から前方に縁を張り出し、高さ3.5メートルの柱で石垣の下から縁床を支えている、懸造という作り方です。下から見上げると石垣の上に立つ威圧的な景観をしていますが、本殿側からみると細長い優美な優しい姿をした建造物です。見る角度によって異なる様々な個性的景観を見せます。

拝殿中央虹梁の蟇股

拝殿中央虹梁の蟇股

拝殿にも中国の神仙彫刻がみられます。通路上の蟇股の彫刻には、滝の水流の前にいる老人と牛が描かれています。これは巣父(そうほ)という説話です。中国古代の皇帝である堯が王位を譲ろうと許由(きょゆう)に会いました。しかし許由は耳が腐ってしまうと言って滝で耳を洗いました。それを見ていた巣父が、世俗の欲望にまみれた水を牛に飲ませる訳にはいかないと言って牛を連れて帰ったという説話です。

富田砕花の歌碑

富田砕花の歌碑

富田砕花の歌碑

昭和59年2月に3メートルをこえる大雪の重みによって三重塔の屋根が落下しました。昭和62年10月に昭和の大修理が完成しました。これを記念して市民による建設実行委員会が作られ、参道に詩人の富田砕花氏の歌碑を建立しました。

歌碑は、「妙見の雪に埋もれてひっそりと、生きづけるがに塔はあるもの」です。出雲大社からやってきた三重塔が、但馬の妙見山の雪の中でひっそりと、300年以上も立ち続けている情景を表現しています。書は八鹿の綿貰墨石氏です。

妙見杉

三重塔横に立つ妙見の大スギ

三重塔横に立つ妙見の大スギ

大スギの根株を保存する建物

大スギの根株を保存する建物

三重塔の横には「妙見の大スギ」という名称で、大正13年に国指定の天然記念物になった巨木がありました。樹齢1500年と言われた妙見杉で、根廻りが14.5メートルもありました。地上7.2メートルで2本の幹に分かれていることから夫婦杉と呼ばれていました。

しかし平成3年の台風で倒木したので、根株を保存する建物を作って天然記念物を顕彰しています。

妙見杉は名草神社境内の巨木を母樹として育つ寒冷地に強い杉の品種のことです。現在でも境内には樹齢300年から400年の杉の巨木がたくさん繁っています。

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