重要文化財名草神社保存修理工事(平成28年度)
1、重要文化財 名草神社 本殿・拝殿「平成の大修理」
名草神社は、江戸時代には但馬妙見社と言い、山陰地方の妙見信仰の中心地として、但馬地方内外から多くの人がお参りして栄えました。名草神社には多くの貴重な建造物が残されており、本殿・拝殿・三重塔は国指定重要文化財、社務所は県指定文化財に指定され、境内地の全体が歴史文化遺産となっています。
名草神社は妙見山中の標高800メートルに位置します。但馬の中でも特に積雪量が多く、冬の積雪は3メートルに達します。平成24年3月、大雪により本殿や拝殿の屋根が破損しました。建物の基礎の沈下や建物全体の経年劣化も進んでおり、本殿・拝殿ともに根本的な修理が必要となりました。
こうした状況の中で、平成25年に地元の小佐地区において「名草神社災害復旧工事奉賛会」が組織され、本殿・拝殿の修理に向けて奉賛金の募集活動がはじまりました。そして平成27年に宗教法人名草神社を事業主体として、国(文化庁)・兵庫県・養父市の財政支援、さらに奉賛会をはじめ多くの支援者の協力を得て、重要文化財名草神社保存修理事業として本殿・拝殿の保存修理工事に着手しました。
保存修理工事は、平成27年度から平成32年度までの6か年の計画で、総事業費約6億円の予定です。「平成の大修理」と呼ぶ大規模な工事です。本殿・拝殿の屋根葺き替え、拝殿の柱の取り替え、沈下した基礎や石垣の修理、建物の彩色など、事業の内容は多岐にわたります。
名草神社の建物一覧
建物 | 規模 | 建立年代 | 文化財指定 | 備考 |
三重塔 | 1辺3間 4.6メートル |
寛文5年 (1665) |
国指定 明治37年 |
出雲大社に大永7年(1527)建立、寛文5年(1665)名草神社に移設、昭和59年大雪で損壊し、昭和62年修理 |
本殿 | 桁行9間・梁間5間 17.6メートル・9.0メートル |
宝暦4年 (1754) |
国指定 平成22年 |
入母屋造、杮葺、千鳥破風付、向拝3間、軒唐破風付 明和元年(1764)銅版葺から板葺に改修、昭和19年修理 |
拝殿 | 桁行5間・梁間2間 11.7メートル・5.2メートル |
元禄2年 (1689) |
国指定 平成22年 |
入母屋造、杮葺、懸造、割拝殿 昭和19年・26年修理 |
稲荷社 | 桁行1間・梁間1間 0.91メートル・0.75メートル |
19世紀 前期か |
市指定 平成26年 |
一間社流造、杮葺 |
社務所 | 桁行13間・梁間7間 26.1メートル・14.1メートル |
元禄8年 (1695) |
県指定 平成28年 |
入母屋造、鉄板葺 昭和23年修理、昭和59年大雪で屋根破損、同年修理 |
平成29年3月 養父市教育委員会社会教育課
001重要文化財名草神社修理 (pdfファイル 1837KB) (PDFファイル: 1.8MB)
2、拝殿修理 曳家工法
名草神社拝殿は建物の中央が通路となる「割拝殿(わりはいでん)」で、元禄2年(1689)に建てられました。拝殿は、高さ3メートルから4.5メートルの二段の石垣を積んだ平坦地の上にあります。南側の正面の縁床を支える束柱は、石垣の下から長くのびる「懸造(かけづくり)」という建築様式になっています。石垣の前から見ると、石垣の上に建つ拝殿の姿は力強く壮観です。
拝殿は、建物の柱や屋根の破損だけでなく、建物の土台や基礎、石垣に変形や破損がみられます。さらに、地盤の不同沈下によって建物が少し傾いていることが判明しました。こうした事から、建物修理の前に、基礎や石垣の修理を実施しました。基礎や石垣の修理は、上に拝殿の建物があると実施することができません。そのため、一時的に建物を移動させる「曳屋(ひきや)」を行うこととなりました。
曳屋は建築物を解体することなく、建てられた状態のままで移動する建築工法です。曳屋は文化財修理でよく利用される伝統技術です。今回の工事では本殿側(北側)に約10メートルの距離を移動させました。建物の重量をうまく受けるように井桁状に組んだ木材を台にして、微調整を加えながらジャッキにより持ち上げます。建物を動かすのは大人1名の人力です。手動のウインチを使用して、建物に掛けたワイヤーを引きます。推定約27トンの建物は、木組みのレールの上を移動します。レールの上には鉄製の「コロ」があり、ゆっくりと滑るように約10メートルの距離を約1時間で移動しました。
拝殿の曳屋は平成28年6月に実施し、その後、基礎部分の発掘調査や石垣の解体修理工事などを行いました。平成28年11月に再び曳屋によって元の位置に戻りました。そして、平成29年から拝殿建物の本格的な解体修理が始まりました。
002重要文化財名草神社修理 (pdfファイル 1341KB) (PDFファイル: 1.4MB)
3、拝殿の発掘調査
名草神社拝殿の解体修理では、土台が載っていた基礎を解体し、地面を掘削して土台を据え直し高さを揃えます。地中には名草神社にかかわる建物跡などの遺構が埋もれている可能性があります。このため、平成28年6月から8月まで、現在の拝殿基礎と地下の遺構を確認する目的で発掘調査を実施しました。調査の範囲は、中央の通路部分を除く雨落溝の内側の約110平方メートルです。
現在の地表から20センチメートルから30センチメートル程度は現在の拝殿基礎に伴う盛土層です。この層を掘り下げると、硬くたたき締められた古い時代の地表面がありました。この面で規則的に並んだ礎石を10基と、礎石の抜き取り跡を6か所発見しました。礎石は50センチメートルから100センチメートル程度の大きな石材で、礎石の上面には墨で引かれた基準線や柱の痕跡が残っています。現在の拝殿は、石積みの「布基礎」の上に角材を横に置いた土台を設置し、その上に柱を置いています。古い時代の拝殿は、地面に据えた礎石の上に直接そのまま柱を置く構造となっています。
新しく発見した礎石は、現在の柱の位置からすべて約1.8メートル本殿よりの北側にあります。柱の間隔は古い時代の拝殿も現在と同じ規模で、柱の直径もほぼ同じです。当初の拝殿を移動させ、現在の構造に変更した可能性が高いと考えています。この時に石垣の改修も同時に行われています。また、拝殿地盤も盛土工事を伴う改修が行われています。今回の調査では、盛土から寛永通宝や和釘、銅製の金具などが出土しました。これらの遺物は拝殿の改修に伴う盛土工事の際に混ざったものです。
拝殿は元禄2年(1689)に建築されています。発掘調査によって発見した地下に埋没していた礎石は、元禄2年のものと推定しています。つまり、その後の改修によって石材を並べた「布基礎」が作られたと推定しています。名草神社の建物構造の歴史的変遷の一端が判明しました。
003重要文化財名草神社修理 (pdfファイル 1858KB) (PDFファイル: 1.9MB)
4、石垣の解体修理
名草神社拝殿の石垣は、地面の沈下や樹木の根などの影響によって変形し、一部が崩れ落ちていました。平成28年9月に、特に状態の悪い東側を中心に石垣の解体修理を実施しました。
石垣の中央には拝殿を通って本殿に至る石段があります。この石段右側の石垣には、元禄6年(1893)に石段を作ったことを示す銘文が刻まれています。名草神社の石垣は、江戸時代の景観を構成する大切な文化財のひとつです。このため石垣の文化財修理を行いました。解体修理では、現在の状況を調査・記録して、できる限り元の石材を元の位置に積み直します。拝殿の石垣は場所によって積み方や石材の加工などが違います。これによって何度も改修や修理が行われたと考えられます。
解体修理では、まず写真測量によって現状を記録します。そしてすべての石材に番号をつけ、積み直しの目安となる基準線を墨で入れます。それから重機を利用して、上から石材を1個ずつ、一段ずつ吊り上げて取り外します。解体が終わると、基準線や番号、写真をもとに、石材のかみ合わせや勾配を検討し、ひとつひとつの石材を本来の状態に積み直します。石材が細かく割れている場合や、もとの石材が無くなっている場合は、新しい石材を使用します。可能な場合には割れた石材も接着して再び使用します。石垣の積み直しが2段程度進むと、裏側に栗石を入れ、また上へと積み上げます。これを繰り返して上まで積み上がった後、石材の表面を調整し、石材の間に間詰石を補充して解体修理は完了しました。
石垣修理の完成後には、地震対策や地盤沈下対策として拝殿を支える鋼鉄のパイプを地面に打ち込み、基礎工事を完成しました。そして拝殿は曳屋によって元の位置に戻しました。今回の基礎工事によって拝殿を長く守っていくことができると考えています。
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更新日:2019年12月03日