箕谷古墳群の発掘調査

更新日:2019年11月21日

立地と概要

発掘調査区の全景

発掘調査区の全景

円山川の支流である八木川下流域の左岸に立地する古墳です。この付近には八木川にむかって丘陵尾根が多数派生しており、その谷の一つが古墳の立地する「箕谷」(みいだに)です。体育総合施設であるつるぎが丘公園建設事業のために、八鹿町教育委員会が昭和58年度から59年度にかけて発掘調査をしました。ところが銘文入り鉄刀が発見されたことから、現地は国指定文化財の史跡公園として整備されました。さらに2号墳の石室内から発見された103点の出土品は国指定文化財となりました。

この古墳が作られた時期は、7世紀前半から中頃です。箕谷2号墳の副葬品である銘文入り鉄刀には「戊辰年」(ぼしんねん)の年号があり、西暦608年と考えられています。2号墳の須恵器は陶邑編年のTK217形式に併行する時期のものであり、その中でも中頃にあたると考えています。

古墳群

箕谷2号墳石室

箕谷2号墳石室

箕谷古墳群には5基の古墳があります。この箕谷の正面つきあたりに築かれた2~5号墳までの4基の群集墳と、さらに西に入った1号墳の2群からなりたっています。2~5号墳は、標高83メートルから92メートルのゆるやかな斜面に位置しています。いずれも円墳で無袖式(むそでしき)の横穴式石室を埋葬施設としています。石室はすべて谷の入り口方向である南に開口するよう規則的に造られています。そして2・3・4・5号墳と順次標高の低い方から高い方へ築かれています。時期が新しくなるにつれて墳丘・石室が小規模化しているのが特色で、この時期の古墳の変遷過程をよく示しています。

2号墳は東西12メートル、南北14メートルのやや南北方向に長い円墳です。横穴式石室は無袖式で、長さ 8.6メートル、幅 1.2メートル、高さ 1.7メートルで細長いものです。側壁は基本的に3段、一部を2段に積みます。石室の床面には、20センチ前後の山石を置いて第1次床面を作っています。

箕谷2号墳(全体)

箕谷2号墳(全体)

その上に土を少し入れて第2次床面としていました。

戊辰年銘大刀は奥壁から40センチメートルほど入口より、床面から8センチメートル高い位置から、須恵器杯身1点、残存長44センチメートル・24センチメートルの鉄刀などと一括して出土しました。これを第2次床面と考えています。これを追葬遺物とみるのか、第1次床面の置き直しとみるのかは解釈が分かれる問題となりますが、現在は置き直しの遺物と考えています。

3号墳は2号墳の背後に位置して、東西 9.5メートル、南北13.5メートルの長楕円の円墳です。墳丘には外護列石とよばれる列石が3重にめぐる大変珍しいものです。横穴式石室は長さ 9.2メートル、幅 1.2メートル、高さ 1.4メートルで、天井が低く細長いものです。東側壁は5段、西側壁は3段に積みます。奥壁は鏡石で、1枚石を置きます。

4号墳は3号墳の西側にあるやや高い位置に築かれています。墳丘は直径7メートル程です。横穴式石室は長さ 3.6メートル、幅 0.8メートル、高さ 0.7メートルの小規模なものです。石室規模が2・3号墳の半分以下となる小型であることから、1人だけを埋葬する単次葬の古墳です。

5号墳では南北方向に10個の石列が検出されており、横穴式石室の西側の側壁(そくへき、基底石を示すもの)と判断しました。石室の現存長は3.2 メートルですが、墳丘のほとんどが削り取られています。このため直径5メートル程度の円墳とみなしています。

2号墳出土物

                  2号墳出土状況

2号墳出土物

                   2号墳出土状況

遺物

2号墳からは、須恵器(すえき)の杯身(つきみ)・杯蓋(つきぶた)・長頸壺(ちょうけいつぼ)・平瓶(へいべい)などの土器が約50個体出土しました。土師器(はじき)は甕(かめ)・碗(わん)が数個体出土しました。鉄製品は鉄刀が4点、鉄鏃(てつぞく、鉄のやじり)が4点以上、馬具類が約40点出土しました。鉄刀の中で最も重要なものが戊辰年銘大刀です。馬具類はほとんどが革金具であり、他に杏葉(ぎょうよう)3点・絞具3点などがありました。装身具は金環が3点出土しました。

銘文入り鉄刀である戊辰年銘大刀は、切先から鍔まではほぼ全体が残りますが、柄の部分はありません。現存長は68.8センチメートル、幅は本で 2.9センチメートル、末で 2.4センチメートル、厚さ6ミリメートルあります。刀身は反りのない直刀で、鎬(しのぎ)のない平造り(ひらづくり)です。切先はカマス切先で、基部から切先に至るにしたがって刃幅を減らします。鍔は喰出鍔(はみだしつば)です。鞘は2か所の足物金具、鞘口金具の一部が残るのみです。分析の結果、いずれも鍍金していたことが判明しました。

3号墳では、土器類は須恵器が15個体で杯・台付碗(だいつきわん)・短頸壺(たんけいつぼ)・平瓶、土師器が1個体で杯(つき)でした。鉄製品が刀子(とうす)1点、鉄鏃7点がありました。しかし鉄刀や馬具はありませんでした。

4号墳は土器類が須恵器11個体(杯・蓋・高杯) 、土師器1個体(小型の甕)が出土しましたが、鉄製品は有りませんでした。

つまり装飾付太刀(そうしょくつきたち)と鉄鏃と馬具をもつ2号墳、鉄鏃をもつ3号墳、鉄製のものを持たない4号墳という形で副葬品(ふくそうひん)が少なくなっています。

3号墳の画像

               箕谷3号墳(全体)

3号墳の画像

                 箕谷3号墳(全体)

3号墳の遺物

                  3号墳出土状況

3号墳遺物

                      3号墳出土状況

国指定文化財

箕谷古墳群全体

箕谷古墳群全体

箕谷古墳群は、平成4年12月18日に7,000平方メートルが国指定文化財、史跡になりました。箕谷2号墳出土の銘文入り鉄刀は、戊辰年(ぼしんねん)と刻んだ日本で最古の銅象嵌文字を刻んだ製品であり、6文字をもっています。戊辰年は、大刀の形状や伴出した須恵器の形式から、推古天皇16年にあたる西暦608年をあてる説が最も有力です。さらに横穴式石室や古墳そのもののあり方にも相互に関連し、古墳時代から律令時代にいたる変換期の社会構造を検討する上で、貴重な歴史的価値を有しています。このため戊辰年銘大刀を出土した箕谷古墳群は古墳時代を解明する上で貴重なものです。

箕谷2号墳出土品

箕谷2号墳の石室内から出土した103点の遺物は、平成4年6月22日に国指定文化財(重要文化財・考古資料)に指定されました。内容は装身具3点、武具類25点、馬具類27点、土器類48点などです。

戊辰年銘大刀は、埼玉県稲荷山古墳出土の辛亥年(しんがいねん)銘鉄剣とともに、我が国における古墳時代そのものの絶対年代と刀剣類の編年的位置を解明するうえで、極めて重要なものです。 推古16年という年代が判明していることから、戊辰年銘大刀と同時に石室内で発見された箕谷2号墳出土品の102点は、古墳時代後期、さらにはそれに続く飛鳥時代の実年代を検討する上でかけがえのない貴重な出土品です。

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