整備された古墳公園

更新日:2019年11月21日

つるぎが丘公園の古墳

整備されたつるぎが丘公園

整備されたつるぎが丘公園

昭和58年に公園整備を行うために箕谷古墳群を発掘調査したところ「戊辰年五月」(ぼしんのとしごがつ)という兵庫県下で最古の年号を記した銘文入りの鉄刀を発見しました。その後公園整備が完成し、銘文入り鉄刀にちなんでこの付近は“つるぎが丘公園”と名付けられました。体育館や温水プールがある“つるぎが丘公園”の文化的な中核施設として、箕谷古墳群が存在しています。

箕谷古墳群は平成4年12月18日に7,000平方メートルが国指定の史跡になりました。そこで平成4年度から5年度にかけて文化庁の史跡保存整備事業として古墳公園を整備し、平成6年5月にオープンしました。ここには2号墳から5号墳までの4基の古墳が作られています。2号墳は古墳内部の横穴式石室を見学することができます。但馬で初めて国指定文化財となった古墳がある古墳公園として、但馬古代史のロマンを今に伝えています。

聖徳太子の時代に活躍

箕谷古墳群

箕谷古墳群

箕谷古墳群は、西暦630年代から660年代にかけて造られています。このため、これよりも少し古い時代にあたる推古天皇や聖徳太子の時代に活躍した人物を埋葬したお墓として造られた古墳であると考えています。

古墳の中心に立ってみると、古墳群の後側(北側)から山がせまって袋状の地形になっています。そして古墳の前側(南側)は土地が低くなって開けています。さらに、古墳の入口は南を向いています。こうした地形や方位は、風水の思想にかなうものです。7世紀の奈良県飛鳥地方で造られた古墳にも類似した地形を選んでいる古墳が認められることから、箕谷古墳群は風水を取り入れた選地を行った古墳だと考えられています。

2号墳は約14メートルの円墳で、復元高は3.5メートルです。3号墳は約17メートルの円墳で、復元高は2.5メートルです。4号墳は直径7メートル、5号墳は直径5メートルの円墳として復元されています。時期が新しくなると古墳の規模は小形になり、立地は北側に移って標高は高くなります。

6世紀後半から7世紀中頃にかけて但馬を支配したと考えられている豪族を埋葬した古墳が、約4キロ東南にある大薮古墳群です。このため箕谷古墳群の埋葬者も、彼らの但馬支配に貢献した一族と考えられています。

芝生広場と強化ガラス

箕谷2号墳と3号墳

箕谷2号墳と3号墳

箕谷古墳公園は、谷部の窪地に作られた4基の古墳をとりかこむように、雑木林で外界から遮断して、古代の空間を整えています。

古墳を中心にして、芝生広場が広がっています。古墳と芝生広場を一体的に整備して、自由に散策できます。芝生の中には花崗岩をきっただけの岩を置いて、ベンチにしています。

2号墳には天井石を1枚分のスペースに特別製の強化ガラスを設置して、天窓を作りました。石室の中に自然光が入って、内部が見えます。古墳の中には中央に人形の板を置いて、その回りに、埋葬された当時の姿に復元した土器や鉄刀や矢などの出土品を置いています。石室の中で黒い色をした鞘に入った鉄刀が戊辰年五月の銘文をもつ大刀の復元品です。

3号墳のルーツは韓国

箕谷3号墳

箕谷3号墳

3号墳は、墳丘に盛土を3段につんで、それぞれの段には石垣状の列石をならべています。古墳の周囲を3重に列石をめぐらす大変珍しい構造の古墳であったと考えています。但馬には列石をもつ古墳が多くありますが、3重の列石をもつものは兵庫県下でも珍しいものです。こうした列石は韓国の釜山市付近にも認められ、昌寧校洞(しょうねいこうどう)4号墳の列石などが有名です。こうした事から、朝鮮半島にルーツがある古墳技術ではないかという説もあります。古墳は円墳ですが、南北方向に細長い玉子形になっています。

2号墳の石室

箕谷2号墳の内部

箕谷2号墳の内部

石垣で周囲に壁を積んで、その上に天井石をかけた部屋のような構造を持つ石室を“横穴式石室”と呼んでいます。古墳の内部に作られた石室は、亡くなった人が黄泉(よみ)の国で生活する“家”と考えられました。

埋葬者を中心において、その人の右側には土器や短い直刀(ちょくとう)を置き、左側には矢がありました。また頭の後方には銘文入り鉄刀があります。直刀や矢などの戦うための武器、馬に乗るための馬具、そして食事をする時に使う土器なども置かれています。石室の中には復元した土器を展示しています。

横穴式石室は長さ8.6メートル・幅1.2メートル・高さ1.7メートルの大きさで、玄室(げんしつ)と羨道(せんどう)の区別のない無袖式(むそでしき)の石室です。但馬の中でも規模は小さなものです。

側壁(そくへき)の最も下には奥壁から大きな石材を4石続けて並べて置き、その上に石材を3段積みます。表面の整った長方形の石材を横積みした丁寧で安定感のある石室です。欠損した部分には新しい石材を積んで当時の姿に復元しました。古い石材はもろいので、撥水強化処理を施しました。また床には礫を敷いています。

2号墳の石室内から発見された103点の出土遺物は国指定の重要文化財となっています。

復元された銘文大刀

戊辰年銘大刀(レプリカ)

戊辰年銘大刀(レプリカ)

西暦608年を示す(668年の説もあります)と考えられる戊辰年(ぼしんねん)の年号を刻んだ銘文入り鉄刀は黒漆塗りの鞘に入っています。金色に輝くのは金メッキをした鞘の金具です。刀を握る部分を柄(つか)といいますが、柄には銀線に刻みを入れたものを巻いています。鍔(つば)は小さな喰出(はみだ)し鍔で、切先は奈良時代に多いカマス切先です。復元した刀身の長さは65センチ、鞘は70センチ、柄は15センチです。

奈良の正倉院の宝物に類似するものがあります。圭頭大刀(けいとうたち)という種類で、奈良県飛鳥地方で作られたものとみられます。刀身に年号などの文字を刻むような銘文入り鉄刀は最初に中国で作られました。その後、朝鮮半島や日本の大和でも作られるようになります。奈良県東大寺山古墳から出土した銘文入り鉄刀は中国で作られて日本に持ち込まれたものです。箕谷2号墳から発見された銘文入り鉄刀のルーツは中国にあります。

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